2022年5月1日(日)。

 

 今日の坂東練習は昨日と打って変わって運悪く午後から雨に降られて満足に練習が出来なかった。一番やりたかった練習が出来ずに途中で切り上げざるを得ず、消化不良な一日になってしまった。でも最後に野球の神様が私のところへ「選手達に伝えなさい」と降りてきた(笑)。練習を切り上げる直前、許せないプレーが起きた。ゲーム形式の練習中に「自分のことを優先したプレー」が起きたのだ。

 

 野球は「チームの勝利の為にどんな犠牲も厭わない」という自己犠牲心がとても大事だ。送りバントは自分が死んで走者を進塁させる作戦だし、投手がわざわざボール球を投じるのもチームの勝利の為に自分の体力を犠牲にする行為だ。火の玉ストレートで有名な元阪神タイガースの藤川球児投手も、トミー・ジョン手術を受けた右肘の傷を「チームの為に腕を振り続けた勲章だ」と言っていた。超一流の選手であればあるほど、自分のことよりもチームの勝利を優先する精神が根底にある。

 

 逆に二流以下の選手というのは得てして自己中心的だ。自分の調子が悪ければ不貞腐れ、良ければ途端に上機嫌。エラーや三振といった悪い結果は自分の実力ではなく、人のせいや環境のせいにして自分自身にベクトルを向けない。やりたいことは率先してやるのに面倒なことはなるべく避けて人に任せる。そう、まさに選手時代の私そのままの姿だ。しかしそれではスター選手にはなれない。本当に凄い選手はチームが苦しい時に救ってくれる選手だ。野球は人間性がプレーに顕著に現れる。

 

 野球はチームスポーツだから、チームの勝利へ一歩でも近づくプレーを選択出来る選手が結果個人の成績も良くなっていく。このスポーツはそういう風に出来ている。例えば1死2塁で打席を迎えた時、最高の結果はタイムリーを打つことだが、「最低でも走者を3塁へ進めようと思い、右方向へ狙って打つ」ということを頭に入れて打席に入ると、右中間を抜ける適時二塁打になったりする。ところがそういったチームプレーを考えずにただ闇雲に打とうとすると三振したりポップフライを打ち上げたりして、走者は2塁から動けずただアウトカウントが増えただけという結果を招きやすい。

 

 私は中学生に野球の楽しさを伝えたいと思って中学野球に携わっているから、選手達に過ぎた規律を求めてはいない。余計なストレスを感じず存分に東京和泉シニアでの中学硬式野球を楽しんでもらいたいと思っている。でももし「厳しさ」と表現する部分が私の中にあるとすればきっとこの部分。チーム勝利よりも自分を優先するプレーや行動。これは許せない。怒鳴り声の無いグラウンドを目指しているが、今日は容赦なく叱りつけた。

 

 皆の野球は色々な人の協力のもと成り立っている。そして公式戦は試合に出られない選手もいる。そういう人達の想いを背負ってプレーする以上、チームのことより自分のことを優先するなど言語道断。帰る前の最後のミーティングで、いつもより少し時間をかけて話した。選手達の心に届いているといいな。

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