2022年5月18日。
和田堀グラウンドA面。
今日の水曜日練習に武相高校野球部でコーチを務める白浜が来てくれた。以前は専大北上高校野球部の監督もしていた彼だが、さらに遡れば私の大学時代の1学年下の後輩である。同じ専修大学の付属高校出身(私は東京の専大付属、白浜は岩手の専大北上)ということもあって、彼が入寮してきたとき同部屋となった。1年生の仕事を彼に教えたのは私だ。リーグ戦でも1部2部入れ替え戦でもホームランを打ってしまうバッティングのいい選手だった。社会人野球の道もあっただろうが、彼は大学卒業後間もなく若くして母校である専大北上の監督になった。一度野球界を離れたが武相高校の監督に元富士大監督の豊田氏が就任されると同時に彼がコーチとして招かれた。2020年のことだ。それから我がチームから2年続けて1人ずつ選手がお世話になっている。「今年の中学3年生の代でも誰か良い選手がいないですか?」とわざわざ足を運んでくれた。
練習後に食事をした。そこの席に2学年下の後輩にあたる芦沢も呼んだ。彼は山梨の日本航空高校で甲子園出場、専修大学時代もパンチのあるバッティングを武器に4番打者として活躍した。1部・2部入れ替え戦ではあの日大の那須野投手(元横浜ベイスターズ)からホームランを放った。卒業後はシダックスへ入社。社会人野球でも結果を残し2006年育成ドラフト5位で読売ジャイアンツに入団。1年でプレイヤーを引退したが、その後に猛勉強して数多くの資格を取得し整骨院を開業。現在は代々木八幡で整骨院の院長として働き、私自身も時折身体のメンテナンスでお世話になっているし、我がチームの選手達の怪我治療にも力を貸してくれている。
そんな野球界に名を残すような後輩2人に挟まれての食事はとても楽しかった。彼らの野球理論に触れるのは私自身も勉強になるし、何より大学時代の思い出話は最高に面白い。もう理屈抜きで面白い。こんな楽しい時間があるのか?と毎度思わされる。超理不尽極まりない寮生活に耐えたご褒美は、今の歳になって返って来ている。
私が高校3年生の時、専修大学野球部寮へ入寮する直前、私の恩師にあたる専大付属校野球部の岩渕監督にこう言われた。「1年目は大変だと思うがそれに耐えれば2年目以降は自分の時間が出来るから、とにかく1年目は諦めて先輩に尽くせるだけ尽くせ。そして自分が先輩になった時には尽くさなくていいよと言える先輩になれ。そうすれば卒業後に良い先輩と後輩との付き合いが出来るようになる」と言われた。私がどこまでそれを実践出来たかどうか分からないが、私はいま十分過ぎるほど先輩後輩に恵まれている。岩渕監督の言葉は金言だった。これほど私の人生を豊かにしてくれているモノはない。
昨年夏には林和男杯九州大会で福岡を訪れ、沢山の先輩後輩に温かく迎えてもらった。相良さん(1学年上の先輩、現専大玉名校野球部監督)には2人の選手を預かってもらうことになったし、岸本さん(2学年上の先輩、熊本市立商業→専修大学、親父さんは現シニア九州連盟理事長)の息子さんとは対戦が実現。座親(3学年下の後輩、福工大城東→専修大学→独立リーグ)には美味しいもつ鍋をご馳走になった。
あの時ほど大学で野球をやっていて良かったと思えたことはなかったが、今日の白浜と芦澤との時間もまた素敵な時間だった。私は専修大学へ付属高校から親大への一般推薦で進学したわけだから、別に大学でわざわざ野球をやらなくても普通に大学生にはなれたし、あんなに厳しい寮生活などせずに楽しい楽しいキャンパスライフを満喫出来る選択肢も私にはあった。実際そんな生活を送る同級生達を羨ましいと思ったこともある。「隣の芝は青く見える」とはよく言ったものだ。でもあの時の誘惑に負けなくて良かった。あの時苦しい思いをしていなければ今日の幸せはない。野球と一緒だな(笑)