2022年6月5日(日)。

 

 練習。坂東グラウンド。

 

 昨日は体育祭の生徒が多かったので活動を休みにした。そして今日は坂東グラウンドで練習だったが、私が勤める会社の100周年記念行事だった為、コーチ陣に任せて私は今日も活動を休まざるを得なかった。土日続けて東京和泉シニアの活動に参加しなかったのは、緊急事態宣言によって活動自粛期間となった時以来だろうか?コーチ陣には午後から紅白戦をやるように指示し、そのスターティングメンバーなども伝えておいたから、誰がどういう結果を出したかを聞くのが楽しみだ。

 

 100周年記念行事は熱海の後楽園ホテルで盛大に行われた。たまたま私がこの時代に生きて今この会社に勤める社員だったから立ち会えたものだが、どんな組織でも100年続けるって本当に凄いことだと思う。我が東京和泉シニアは総部25年目。まだ4分の1だ。行事に参加した150名の関係者の中には会社の古くからの歴史を知る人もいて、そういった人達のお話を聞くのは良い機会だったと思う。

 

 自分が中学生の時は「プロ野球選手になりたい」って思っていたし、サラリーマンになんかなりたくないって思ってた。酒に酔っぱらう大人を見てあんな風になりたくないなって思ってた。でも私は今サラリーマンとして働き、しょっちゅう酒に飲まれている(笑)。ただ、「こんなハズじゃなかった」とは思わない。愛する妻と可愛い息子に恵まれ幸せいっぱいだ。「営業」という仕事に面白さを感じているし、仕事をする傍ら中学生と共に夢を追える。「こんな充実した毎日を過ごせているヤツもそういないだろう」と思えているくらいだ。

 

 でもそんな私にも数々の後悔がある。中でも忘れられないのは社会人野球への道を自ら絶ったことだ。大学野球のレベルの高さに圧倒され、リーグ戦登板を果たせなかった私は次のステージへ上がる気になれなかった。もっとも、結果を出していなければそのステージに上がれるハズも無いのだが、私の父のツテで「やる気があるのなら面倒みてやるぞ」と言われた企業があった。大学野球で何一つ結果を残せなかった私は自信が無く「もうやめる」と父に告げた。大学4年の春のことだった。今思えば「何て勿体ないことをしたのか」と悔やんでも悔やみ切れない。例え下手くそでも、レベルが届いていなくても、しがみついてでもやるべきだった。結果それで通用しないということならば仕方ないが、チャレンジすらせず、そして誰に無理だとも言われていないのに、自ら諦めてプレイヤーとしての自分に終止符を打った。そう、「夢破れる時」というのは「自分が諦めた時」だ。続けていればいつか花開く時が来るかもしれないし、可能性は続いていく。やめてしまったら奇跡は起こらない。

 

 今、私が考えていることは、人生の岐路に立たされた時の選択に後悔はついてまわるものだしそれは消えることもないのだから、自分が選んだ道でより幸せになれるように頑張って、「あ~、こっちの道で良かったな」って思えるようにすること。もし私があの時社会人野球の世界へ進んでいたとしたら、それはそれで色々な人と出逢い私の野球観も広がっていたかも知れない。もしかしたら大化けしてプロ野球選手になれたかも知れない…、それはないか(笑)。でも私が今生きているこちらの人生で出逢った素晴らしいことの数々は向こう側では経験出来なかったことだ。今の妻にも息子にも出逢えていないだろうし、東京和泉シニアで出逢った沢山の選手と父兄の方々、チームスタッフ、他チームスタッフや高校野球の指導者たち、そして魂が震えるような劇的なゲームの数々…、こんな日記ではとてもじゃないが語り尽くせない。

 

 だからこれからも今生きている人生を、より心豊かに、幸せに出来るように頑張りたい。あの時の後悔はずっと消えないだろうけど、自分が死ぬ時に「あの時の選択は間違いじゃなかった」って思えるように、サラリーマンとして生きる自分に誇りを持って今を頑張ろうと思う。

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