2022年6月19日(日)。

 

 練習。坂東グラウンド。

 

 先週は雨に降られたが、今週は晴天に恵まれ土日ともに2日間しっかりと練習出来た。但し高温多湿な気候となった為、小まめな休憩と水分・塩分捕球の時間をとらなければならず、最初予定したタイムスケジュールでなかなか練習をすすめていけなかった。何をするにしても少しずつ時間が遅れていく。これから9月頃までは致し方ない。熱中症から選手達を守ることの方が先決だ。

 

 その代わり選手達には気候の良い時期よりも余計な時間がかかってしまうことを意識して欲しいなと思う。今日もやはり指示されないと動けない様子が目立った。しかしそれには我々指導者側にも問題がある。選手が行動を起こす前に指示をしてしまう癖が抜けない。心の中では「考えさせたい」と想っているのに、足りないところ、至らないところ、動かないところをすぐ指摘してしまい、待てていない自分に気付いている。限られた時間の中でより充実した1日を過ごさせたい、練習させたいという想いが強いが故に、無駄な時間を極力省きたいと常に考えてしまっている。指示をして選手を動かした方がそりゃ断然早い。その瞬間だけを切り取れば圧倒的に効率がいい。しかしそれでは選手が自立する時間と範囲を指導者側が奪っていることになる。だから選手達は指導者から指示されて動くことに慣れてしまって自ら考えようとする力が育たない。結果、「自ら動かない」という現実が一向に改善されていかない。

 

 「自ら考えて行動する」という能力が育たないことの影響は、「練習中の無駄な時間を省けない」というだけに留まらない。普段から何を目標にして、その達成の為にはどのように毎日を過ごせば良いのかということも考えられるようにならないし、もちろん試合中にゲームに勝つ為には今どうすれば良いのかということが考えられるようにもならない。出たサインに対してただそれを実行しようとするだけになる。そんなつまらない野球はない。

 

 分からなければすぐコーチに聞いて行動している姿も目立つ。「失敗したくない、怒られたくない」という気持ちが先行しているのかその心理は分からないが、例えば「朝のグラウンド準備は何を目的としているのか」、そういった物事の本質というか根本の部分を考えて行動して欲しいなと思う。単純に考えて、試合に勝ちたい、勝つ為にはより充実した練習をしなければならない、充実した練習を行う為にはグラウンド環境を整えなければならない、だから整備が必要、道具準備が必要、ネットの設営が必要、暑ければテントの設営も必要、ということだ。そこを考えればわざわざコーチに聞かなくとも自然と答えが出てくるのではないか?大人に怒られることから回避するために野球をやるんじゃない。

 

 午後のノックを打っている時に選手達に呼びかけた。「お前たちの情熱を感じなくてノックを打っていてもつまらない。燃えて来ない」と。私は「声を出せ」という言葉が嫌いだ。野球における「声」とは、ほぼ状況を確認し合うことに使われるものであると思っている。1球ごとに目まぐるしく状況が変化していく野球において、ボールカウント、アウトカウント、イニング、点差、打順、走者の位置、天気(風・太陽の位置他)、などなどチームメイト同士で確認し合わなければならないことは無数に存在する。勝とうと思ったら「声」なんて勝手に出ている。出て来なきゃおかしい。ノック中もそういった「声」が聞こえてこない。普段からゲームに勝とうとして毎日行動していないからだ。監督やコーチの指示ばかりを待って行動しているから、選手達に意志が生まれて来ない。だから情熱を感じない。ノックを打っていてもつまらない。

 

 先週「何かを変えなければ何も変わらない」という意味のことをこの日記に綴った。朝の練習冒頭のミーティングで、井上コーチが同じ意味のことを言ってくれた。一番変わらなければいけないのは今日改めて痛烈に感じた部分なのかも知れない。指導者が我慢をして選手に行動させ、選手の意志を育てる。つまりは我々指導者側がもっと覚悟を持って変わらなければいけないということだ。このまま何も変わらずまた秋の大会で1回戦負けなんて絶対にゴメンだ。死んでも我慢がならない。

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