2022年7月3日(日)。
オープン戦 対上尾シニア 東京和泉シニアG。
久しぶりに上尾シニアさんとオープン戦をさせて頂いた。恐らく井上コーチが中学生だった時以来だと思う。高岡コーチが夏の関東大会3回戦で対戦しているが、それは公式戦だからオープン戦としては15年以上ぶりではないか?毎年のように関東大会や全国大会へ出場している名門チームから、この度オープン戦のご依頼を頂き感謝感激である。
「北関東支部で行われた2年生大会で優勝した」と聞いていたが、その実力は本物だった。中学2年生のこの時期であれだけボールを投げられて、あれだけバットが振れるチームはなかなか無い。選手達の身体もみんな大きくしっかりしていた。そんなチームとのオープン戦は選手達にとっても貴重な経験となったことと思う。序盤はある程度ゲームをつくれていたから、後半にエラーが重なってゲームを壊してしまったことが勿体無い。これは明らかにスタミナ不足。酷暑の中でのゲームであるから守りの時間が長くなれば厳しくなるのは分かるが、秋の東東京支部大会の初戦は8月の終わりから始まるため、まだまだ暑い中で行われる。甘ったれたことは言っていられない。
上尾シニアさんの活動は土日祝日のみらしい。平日活動していないにも関わらず結果を出し続けているということは、選手一人一人の意識が高く自主練習を怠らない集団だということだろう。我がチームもそういった選手達の意識が少しでも変化してくれたらという想いで、練習メニューすらも選手達自身に考えさせるということをスタートさせた。また上尾シニアさんの1年生はほぼ体力づくり的な練習しかしていないらしく、「野球がしたい、野球をやらせてくれ」といった不満が沢山出るとのこと(笑)。それくらい徹底したチームとしての取組みが、チームの好循環を生んでいるのかも知れない。ウチの選手達は1年間もまともに野球をやらせてもらえないことに耐えられるだろうか…、無理だな(笑)。私が無理(汗)。やっぱりなるべくボールを使う練習をさせてあげたくなってしまう(笑)。
ふと私の中学時代を思い出した。私は東京和泉シニアのOBではないが、このチームの前身であった東京ニュータイガース(当時はヤングリーグ所属)というチームに在籍していた。私はこのチームの2番手投手であり内野の控えだった。公式戦ではいつもベンチスタート。オープン戦でも頭の試合で先発したことはほとんどない。当時のエースピッチャーは幼馴染で小学校も中学校も一緒だったことから、親友であり良きライバルでもあった。私はもともと運動神経が良い方で、学校のスポーツテストの種目は全て学校で1番だったが、学校で2番はいつもその幼馴染。ところが野球で私は彼に何をやっても敵わなかった。ピッチャーをやれば130km近いボールを四隅にコントロールし、打っては4番を打ち中学生のウチから柵越えのホームランを量産。走っても50m走なら私の方が速いのにベースランニングのタイムは彼の方が速かった。特に「ここで打って欲しい」という時に決勝打を放つ勝負強さは、漫画に出てくるスター選手そのものだった。「プロ野球選手になるのはこういう奴だ」とチームメイト全員が思わされたものだ。彼はその後当時東京で無類の強さを誇っていた帝京高校に進学。1年生から名門の3番を打ち2年時には甲子園の土を踏んだ。3年生の時には4番を打って主将も務め、高校通算47本塁打の記録は現ソフトバンクの中村晃選手の60本に次ぐ帝京高校歴代2位の記録としてまだ残っている。
そんな圧倒的才能を前に常に控えに甘んじていた私だが、それでも「負けたくない」という気持ちは常に持っていた。いつか彼を超える結果を出してやろうと毎日の努力を怠ることはなかった。「1日5km走・500スイング」を自らに課し、それを毎日欠かさず続けられたのは彼の存在があったからに他ならない。これは後で聞いた話しだが、彼自身も私に負けることだけは許せなかったらしく、陰で必死に努力を重ねていたとのこと。いつの間にかお互いがお互いを高め合っていたということだろう。ついぞ彼を超えるような結果を出すことが出来なかった私は控え投手のまま中学時代を終えた。だがその中学時代に努力したことが高校野球で生きたことは間違いない。1年夏からマウンドに上がれたのも、3年時にエースナンバーを背負えたのも、中学時代の彼との競争があったからである。私が大学で野球をやろうと決断したのも、彼が青山学院大学に進学すると聞き、同じ東都大学野球リーグで神宮球場を舞台に対戦する夢を描いたからだった。
この幼馴染との競争の結末は、不戦勝により私が勝利した(と、勝手に思っている笑)。彼が青山学院大学の野球部を途中退部したからだ。私はリーグ戦登板はかなわなかったものの、4年間やり通して4年次春のシーズンに一度だけベンチ入りを果たし神宮球場の地を踏んだ。だから私の勝ち(笑)。先日、「夢破れる時というのは自らが諦めた時」とこの日記に残した。それと全く同じ。どんなに優れた才能を持っていたとしても辞めてしまったら終わってしまう。
ポジションは監督やコーチに与えられるものではない。自ら勝ち取るもの、奪い取るものだ。チームメイトと競争し、お互い切磋琢磨して自らを高めることでチーム勝利に近づいていって欲しい。皆がレギュラーを目指して、そしてその先にある勝利を目指して毎日頑張れるように、「オープン戦での結果を明確化出来ないか?」と工藤コーチに相談したところ、試合での打席数や安打数他を数値化出来るアプリを見つけてくれた。オープン戦ではなるべく選手達に平均的にチャンスが与えられるよう、1日21イニング(オープン戦は1日に3試合やるから7イニング×3試合で合計21イニングになる)のうち何イニング出場させ、何打席立ったかを意識している。オープン戦の相手は我がチームとは違い部員数が多くて2年生1学年のみとなることが多いので、1試合目・2試合目・3試合目のどの試合においても結果を平等に評価しやすい。私はオープン戦であれば全ての選手を試合に出場させると決めているから、失敗して構わないのでどんどんチャレンジしていって欲しいと思う。