2022年8月8日(月)~12日(金)
第11回東日本選抜大会 IN北海道
入団当初からコロナの影響を最も受けてきた24期生達に、何かを残してあげたいと思ってこの大会にエントリーすることにした。第一回緊急事態宣言中だった2020年4月はシニア関東連盟からも活動自粛を言い渡され、24期生の入団式を行えたのはそれから2か月後の6月のことだった。その後も都外のチームとのオープン戦は禁止される時期が長く続き、宿泊を伴う遠征は約2年強の活動の中で一度も経験させてあげることが出来なかった。8月は一般受験での高校進学を目指す選手にとっては受験勉強へ向けて準備しなければならない時期であるし、場所も遠くお金がかかることであるから、参加を強制することは出来なかった。希望者を募り2年生と1年生を含めた19名で参加することとなった。
「かわいい子には旅をさせろ」とよく言うが、今回ほどそう思えたことはない。大会は初戦で、しかも大差で敗れ、結果だけを見れば東東京支部代表チームとして恥ずかしい思いをしたが、恐らく最初で最後になったであろう札幌ドームでの野球観戦(日本ハムファイターズ近藤選手のサヨナラスリーランには感動した)、遠征二日目の北広島シニアさんとの交流、そして羽田での飛行機搭乗から4泊5日のホテルでの団体行動の経験は、選手達にとってかけがえのないモノになったと思う。
私も中学時代に全国大会で、今は無き兵庫県阪急西宮スタジアムでプレーした経験がある。そこで対戦した選手と大学時代にチームメイトとなった。もしかしたら、この北海道遠征で交流した北広島シニアさん、あるいは札幌円山球場で対戦した小樽シニアさんの選手の誰かと、ウチの選手達がまたどこかで出逢うかも知れない。そんな可能性もこの大会にエントリーしなければ生まれることはなかった。
また選手達の遠征中のマナーは立派だった。私が見なかっただけかも知れないが、ホテルの廊下ではしゃいだりしている姿は、他チームではあっても我がチームでは見られなかった。「東東京支部代表チームとしてモラルある行動を」と選手達に出発前に話したが、約束を守ってくれたと思う。
ただ私自身は北海道まで来て大差で負けた現実は、重く受け止めなければならないと思っている。我々指導者は何かを学んで持ち帰らなければならない。もちろん選手起用や試合中の采配で勝敗が左右されることもある。しかしこの遠征で突き付けられた歴然とした力の差は、試合中にどうこう出来る問題じゃない。あの札幌円山球場に立った時点で勝負はほぼ決まっていた。つまりそれまでの毎日をどのように過ごして来たのかということである。
我がチームは部員数が多くない為、1人1人の選手がボールを捕球している数、投げている数、バットでボールを打っている数はそうそう他のチームに負けないと思っていた。間違いなくその要素はあるものの、ただやはり練習は「やっているつもり」になってしまっていることが多い。小樽シニアの監督さんにも北広島シニアの監督さんにも練習内容他、普段の活動内容を教えて頂いたが、やはり相当な練習量を選手達に課している。選手達の身体つき、それによるパワー、スピード、技術、どれをとっても我がチームの選手達より1枚も2枚も3枚も上であった。そして小樽シニアさんの球場内でのキビキビとした動きや挨拶一つとっても、規律が守られていてそれだけでチーム力を感じた。それはつまり、普段からそういう毎日を過ごしているからに他ならない。対戦チームから学べたこと、これを我がチームに落し込めるよう気持ち新たにまた頑張っていきたい。
高岡姉さんを中心に、この北海道遠征に向けた準備とそして帯同他、骨を折って下さった父兄の方々に心から感謝申し上げたい。新型コロナウィルス感染症「第7波」が猛威を振るっている中、とても難しい時期での遠征になってしまったが、しかしそれでも確実に選手達とそしてチームに大きなモノを残せたと思っています。東京和泉シニア初出場となった第11回東日本選抜大会。北海道で共に過ごした選手とそしてご父兄の皆さんとの時間を、私は生涯忘れません。ありがとうございました。