2022年8月28日(日)。
坂東練習。
残念ながら天候不良により秋季東東京支部大会は来週末へ順延になった。選手達のコロナ感染が影響で他チームよりも大会参加が一週遅れているから、その気持ちが冷めてしまったりしないように、早く試合をやってしまいたかったというのが本音だ。ただしかし通常通りの活動は今週末からとあり、間隔が空いてしまっていたことは確かだったから、我々にとっては「恵みの雨」であったと捉えることも出来る。
午前中いっぱいは雨に降られた影響で満足に練習出来なかったが、午後からは打撃練習に紅白戦、最後にはポジション別ノックと、午前中のあの雨量を考えたら「よくぞこれだけの練習が出来たな」と思えたほどだった。グラウンドに、神様に感謝感謝である。
若林が伸びてるなぁ~。やっぱり毎日頑張っていることは必ず結果となって現れてくる。そりゃあすぐに上手くはならないし、努力しているのに裏切られてしまうような感覚に陥ってしまうこともあるけれど、それでも諦めずにしがみついて、這いつくばって頑張り抜いたヤツが結局最後は生き残る。マシにしてもそうだけど、人間って可能性の生き物だってつくづく思わされる。
あと磯口ねっ!土曜日の秋ヶ瀬のノックの時も一番声出して頑張ってた。あれを続けてたら絶対に野球は上手くなる。北海道遠征を経て何かが変わったように見える。日曜日の坂東練習終わりの後片付けの時も、精力的に動いていた印象だ。
今のところレギュラーじゃない位置にいるその二人の頑張りからすると、今まで頭で試合に出てきた選手達が物足りなく見えてしまうな…。「俺はレギュラーだ」なんて思ってしまっている諸君に告ぐ。現状に満足しないように気を付けてくれたまえ。私は秋レギュラーで活躍していた選手が春・夏に逆転されてベンチに甘んじることになってしまった例を沢山見て来た。18年もシニアの野球に携わっていれば当然だ。自分の立場を失いたくなかったら必死に努力することだ。野球は実力至上主義の世界だ。
私が中学生の時、当時の恩師にあたる寺岡監督はとても厳しい人だった。時代がそれを許していたということもあったが、顔を殴られ傷をつくって帰ることも日常茶飯事。しかし私に硬式野球の世界とは何たるか、そして「礼儀」と「礼節」を教えてくれた人だ。
朝起きたらお父さんお母さんに「おはよう」と言っているか?「行ってきます、ただいま、お帰り」は言っているか?「いただきます、ご馳走様」は言っているか?グラウンドに「お願いします」と挨拶するが、何に対してお願いしますと言っているのか?…、毎週のように問われた。
返事や挨拶、言葉遣いといったいわゆる「礼儀」作法とは「型」のことである。それも大切だが、何でそれをするのか?何の為にやっているのか?という「礼節」の部分を理解しないと、カタチだけの表裏のある人間になってしまうと教えられた。
日曜日の午前中、雨に降られていたので坂東グラウンド脇の屋根のあるスペースでミーティングを行い、良い機会だと思ってこのことに触れた。テーマは「感謝」。
「グラウンドにお願いしますと挨拶するが、何に対してお願いしますと言っているのか?」
私が中学生の時に言われた問いと全く同じ言葉を中学生に投げかけたが、やはり誰も答えられなかった。つまり今までカタチだけやってきたということ。それは「礼儀」ばかりで「礼節」を教えていない我々大人が悪い。
この話を選手達にしながら自分の中学時代を思い出していた。そして改めてもっと自分も今野球が出来ていることに感謝しなければいけないなと思った。勝てない日々が続いているとどうしても愚痴を言いたくなってしまうし、想いが伝わらいことにストレスも感じてしまう。だけど「人数が少ない」とはいえ選手30名に親御さん、そしてチームスタッフを併せたら100名規模の人達が尽力して成り立っているチームなのだ。会長が立ち上げて、父母会長が見守ってくれて、高岡姉さんが色々なことに骨折ってくれて、OB達がコーチをしてくれて、選手がいて、親御さんたちが協力してくれて、多くの人の「お陰」でようやく監督が出来ている。感謝の気持ち、「ありがとう」とは「有難う」。「有る」のが「難しい」。つまり全てが当たり前じゃないということ。多くの人の「お陰」パワーを、その人達の「為に」パワーに代えて頑張りたいと改めて思った。来週、いい試合がしたいな…。