2024年5月12日(日)
夏季関東大会1回戦 対越谷シニア 11対0 〇 @大宮シニアG
3年ぶりに夏季関東大会の初戦を突破した。お父さんお母さんだけでなく、兄弟やお婆ちゃん、さらにはOBやそのご家族まで、沢山の人が応援に駆けつけてくれて、ベンチ入りしなかった選手達を含めた応援団が1塁側ファールグラウンド横にズラリと並んでいた。試合終了後に「応援ありがとうございました」の挨拶を選手と一緒にした際、その光景を見て「こんなに沢山の人に応援して頂いていたのか」と知った時、自然と目に涙が溜まった。
夏の大会のプレッシャー、初戦、強風。この条件から絶対に「先攻逃げ切りの戦いをするしかない」と思っていた。前情報で相手投手が左の技巧派と聞いていたから、相手に先制されて追いかける展開になると、焦って低めのボール球を振らされ打ちあぐねると想像した。事前に伝えていた作戦を選手達が完璧に遂行し、終わってみれば11対0の4回コールドで試合を決めた。
しかしベンチで戦っていた感覚は、越谷さんと点差ほどの実力差は無かったように思う。上位打線のバットスイングは力強かったし、野手陣にもエラーが見られたわけではなかった。試合の流れ一つで1点を争う僅差のゲームになることも十分にあったと思う。点差がいくら広がっても「後半に何が起こるか分からない、早く終わってくれ」と怖さしか感じていなかった。この度のゲームでは風が我がチームに味方してくれたし、運が向いていて、勝利の女神がこちらに微笑んでくれていただけに過ぎない、そんな感覚だった。
ただその運を味方につけるというのは、「如何に良いメンタリティーで試合に臨めているかどうかということが大きく左右するのだな」というのは強烈に実感した。仙台育英高校の須江監督は「日本一からの招待」というモノをチームスローガンに掲げている。「甲子園優勝は偶然出来るものではなく、必然的に達成する実力が必要」とし、「日本一から招かれるようなチーム、活動を目指す」といった意味合いだそうだ。
私が東京和泉シニアの監督になった約7年前当初は、周りの人間すべてが敵に見えた。でも今は「こんなにも沢山の人に応援して頂けるチームになった」と感じることが出来る。応援してくれる人が毎年毎年、少しずつ増えてきた。私の目に溜まった涙は、試合に勝てたということよりもそういう嬉しさからだったと思う。選手が一生懸命に頑張るのはもちろんのこと、それを応援する我々スタッフ、そしてご父兄の皆さんも沢山の苦労があると思うけど、それに対して愚痴や文句を言うのではなく、自己犠牲心を持って「私を無くしてチームの為に尽くす」ということが出来るかどうか。皆がそういう心で活動していたら、自然と勝利の女神がこちらに寄って来てくれる、そんな気がした。色々な人達の協力があって、試合開始直後から選手達が良いメンタリティーで試合に臨めていることはベンチ内で実感していた。春の関東大会の瑞穂戦のような「重たさ」が無かった。選手達がやるべきことにただ集中出来ていた。何よりそれが勝因だったと思う。
オニギリのホームランには鳥肌が立った。オニギリのお父さんは毎週グラウンドに来てチームの為に沢山の雑用をこなしてくれている。そしてこの試合にはお母さんとお婆ちゃんも応援に駆けつけてくれていた。そんな家族の前で見せた4回コールドを決めるグランドスラム。何て格好いいんだろう。オニギリはきっとお父さんお母さんが自分の野球に協力してくれていることに深く感謝出来ている。
中学生は思春期真っ只中だから、親に対して感謝の気持ちなどこっ恥ずかしくて口に出すことなど出来るハズもないだろうが、毎週朝早くからお弁当作ってもらったり、送り迎えしてもらったり、そういった愛情はちゃんと感じていて、「何とかプレーで恩返しが出来ないか」と思っている。私が中学生の時にそうだったのだからきっとみんな同じ。
今年1月に行った雨の日のミーティングで、「喜ばせたい人を10人書き出し、その中で最も喜ばせたいと思う人(NO,1サポーター)を1人選ぶ」という取り組みをしたが、NO,1サポーターに「お母さん」を選んだ選手がどれだけ多かったことか。そういう人を喜ばせようとする力、「他喜力」は何かを成し遂げる上でとても重要な要素だ。高々と舞い上がったオニギリの打球にはそんなパワーが乗り移っていたように思う。夏の大会で満塁ホームランを見たのはたぶん9期生の佐尾以来だから17年ぶり。17年経っても忘れていないのだから、この度のオニギリのホームランも併せて、きっと一生忘れないと思う。
昨年、一昨年と相手チームが全国有数の強豪チームが対戦相手だったとはいえ、2年連続で初戦敗退を喫していたのでこの初戦突破は喜びもひとしおだった。でも目標は全国大会出場だから、あくまで通過点に過ぎない。3年間通じて公式戦で一度も先発登板させたことのないシブチンを先発させることは勇気のいる決断だったが、「初戦で負けようが4回戦で負けようが同じだ」と腹を括った。今、この瞬間になるべく調子の良い選手で勝負する。それでダメだったらそこまでの力しか無かったということ。日本一から招待を受けられるだけの活動はまだ出来ていないが、全国大会から招待されるだけの活動は出来ていると自負している。昨夏の1回戦に敗れた瞬間からこの夏のことを目標に1年間活動してきた。次戦も勝てるように、出来る限り準備をしたい。