2024年7月14日(日)
オープン戦
対庄和シニア 0対14 ● @庄和シニアG
先週の災害級の猛暑とは打って変わり、梅雨空の中での活動となった三連休。土曜日は登校日の選手が多かった為14時に集合して18時過ぎまでの半日練習とし、日曜日は今朝がたから雨に降られて活動中止になってしまうかと思ったが、庄和シニアさんと4試合もオープン戦をこなすことが出来た。月曜日もグラウンドに到着した途端に雨が降り、1日の練習スケジュールを狂わされたが、それでもお父さん方の協力もあって、とても充実した1日を過ごすことが出来た。
3日間の活動を通して新チームの選手達に強く感じたのは、球際の勝負所で頑張れない選手が目立つこと。例えば身体を張って止めようと思えばボールを後ろに逸らさずアウトに出来る可能性、あるいは進塁を2つ許さず1つにとどめる可能性もあるのに、ハンドリングだけで熟そうとして後逸してしまう。または明らかなファールボールと決めつけてフライを最後まで追わないとか、飛び込んで捕ろうとすればグローブに入るかも知れないのに諦めてボールをグラウンドレベルに落としてしまうとか、最後もうひと踏ん張り出来ないプレーが目立った。
それはきっと、普段の生活から苦しいことを頑張って乗り越えようとする経験をしていないからだと推測する。私は中学生の時に当時の監督さんから「私の家まで毎日ランニングに来い」と言われ、往復5kmの道のりを来る日も来る日も走り続けた。監督さんの自宅ポストに100回目のメモ用紙を入れた時、自宅からわざわざ外に出て来てくれて、「よく頑張っているな。走ることって誰でも苦しくて嫌なことなんだ。でもその嫌なことに挫けず毎日取り組んでいれば、苦しい時に頑張れる心が養われる。その心が厳しい試合で相手を乗り越える上で最も大切なことなんだ」とお言葉を頂いた。
もちろんハンドリングの技術で捕球出来た方がタッチプレーに繋がりやすいし、中継プレーでは時間のロスを無くして捕殺出来る可能性を上げることが出来る。飛び込んで捕球しにいくことには怪我のリスクも背負うことにもなるし、身体を張ることが全てではないことは重々承知だ。しかし結局ギリギリの勝負を分けるのは、その球際の勝負で最後まで諦めずに頑張ってプレーした積み重ねになる。
2021年に行われた東京オリンピック。我らが侍ジャパンは見事金メダルに輝いた訳だが、そのオープニングラウンド初戦でドミニカ共和国と対戦し苦しい戦いを強いられた。8回を終えて1対2と1点ビハインドのまま最終回を迎え、後攻の侍ジャパンは9回表にさらに追加点を許して1対3とされてしまった。誰もが「ダメ押し」と思った。先頭打者にライトへのツーベースで出塁を許し、さらに続く次打者には四球を与えて無死1・2塁とされた。ファーストゴロで1死は奪ったものの、1死1・2塁から右中間へタイムリーツーベースを浴びてしまう。しかしこの時、1塁走者が2塁走者の生還がダメ押しとなる追加点となって勝利を確信したのか、走りながら喜びを表現しスピードを落として走っていた。結果2塁走者のみの生還となり、後続の打者を連続三振に打ち取ってこのイニングの失点は「1」と、最小失点にとどまった。
もしこの時、1塁走者も全力疾走を怠らずに生還してもう1点追加点が入っていたら、その裏の侍ジャパンの逆転サヨナラ勝ちは無かったのかも知れない。初戦を落とせば勢いは生まれず金メダル獲得に至らなかった可能性も十二分に考えられる。結局ドミニカ共和国は銅メダルを獲得したわけだが、その全力を怠った僅かな「サボり」が、ゴールドメダリストとブロンズメダリストの差になる。「微差」は「大差」となるのである。
そのスケールは圧倒的に違えど中学野球も理屈は同じ。むしろ中学生の方が全力を尽くせるか尽くせないかが勝敗に与える影響は大きい。成長過程にある年代だけに、野球に限らず何事にも取組む上での精神が成熟していない者が多いからだ。「人間的成長無くして野球技術の進歩無し」という故野村克也監督の言葉はこれを意味する。「全力を尽くし切る」ということの意味を理解し、東京和泉シニアの活動中のみならず、普段の生活からそういう毎日を過ごすことが出来たら、他チームと大きく差をつけられる可能性がある。
まずはいつも「楽(らく)」を選んでしまっていることに気付けるかどうか?そして庄和シニアさんに4戦全敗したのはその楽を選び続けている毎日によるものなのだと自覚し、この悔しい経験から自らを奮い立たせ、未来を変えるための努力する毎日に変えてほしい。
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
運命が変われば人生が変わる
まず心が変わらなければ何も変わらない。