2024年7月20日(土)
練習 @秋ヶ瀬グラウンド
今日は仕事のため東京和泉シニアの活動は休んでいる。猛暑日となっているので熱中症が出たりしないか心配だ。明日のオープン戦ではまた子供達の成長する姿を見られるので、その様子をまた「日記」というカタチで残すつもりだけど、その前にどうしても今日書き残しておきたいことが今週木曜日にあったので、イレギュラーではあるがパソコンに向かうことにする。
7月18日(木)。高校野球東東京大会4回戦、東京成徳大高校対二松学舎大付属高校の試合を神宮球場に観に行った。目当ては東京成徳大高校の2番ライトで先発出場した端村純だ。彼は東京和泉シニアの23期生で、現在チームスローガンに掲げている「常熱」という言葉の生みの親である。大会が始まる直前に、お父さんと共に「9」の背番号を持って私の自宅に挨拶に来てくれた。今まで毎年「ベンチ入りかないました」「背番号もらいました」という報告を電話してきてくれるOBはいたが、わざわざ自宅までその背番号を見せに来てくれたのは彼が初めてだった。成長した姿を見ることが出来て、涙が出るほど嬉しかった。だからこの夏の大会、どこかで彼のプレーを見たいと思った。
神宮球場に足を運んだのも、母校の専修大学と駒澤大学の1部2部入替戦を観戦した2022年11月以来だったから約2年ぶり。やっぱり神宮球場はいいなぁ〜と思った。残念ながら仕事の合間を縫って行ったので、1時間半ほどしか球場にはいられなかったのだが、シートノックから純の3度の守備機会と3打席を目に焼き付け、「頑張れ!」と心の中で叫んでから球場を後にした。試合経過はその後もスマホでずっと追っていたが、残念ながら3対6で敗れてしまった。
背番号を自宅まで見せに来てくれた時、お父さんから「下級生の時に大変な想いをした」とのことで、「家族内で野球部を辞める辞めないの話しまでなった」と聞いた。でも純は辞めずに踏みとどまり、最後の夏を迎え、神宮球場を舞台に二松学舎大付属高校という超名門校を相手に戦う貴重な機会を得た。その経験は何にも変え難い。それと同時に純は人生の宝物を得た。それはその至高の空間を共有した球友だ。きっと純が大人になった時、「あの時はこうだった、ああだった」と笑いながらお酒を飲みかわすことになるだろう。もうその時は理屈抜きで楽しい時間になる。「あの時辞めないで頑張って本当に良かった」と思えるハズだ。そしてもし純が何かに悩んだり困ったりしたらその球友が必ず助けてくれる。逆に誰かが困っていたら何か力になってあげようと思う。お互い助け合って生きていける。生涯の宝物である。
組織の中で生きていくのは大変だ。理不尽なこと、不遇を受けたりすることは常につきまとう。そもそも私は人間社会とは理不尽なものだと思っている。人それぞれ元々持って生まれた能力に差があるし、生まれてくる場所も選べない。「環境が人を育てる」と言うならば、「生まれ育った環境で、ある程度その人の人生は決められてしまう」とも考えられる。会社の社長がその代表権を親から引き継ぐものであったりもして、社員の中にはそれを不満に思う人もいるけれど、社長は社長で「何でこんなものを背負わされなければならないんだ」と、それを理不尽と感じている人もいる。社会を生きるとは理不尽を生きるということなのだ。高校野球でも当然理不尽なこと、不遇を受けたりすることもある。そうすると「高校選びに失敗した」とか、「あの監督のやり方はおかしい」とか、自分にはベクトルを向けず野球部を悪者にしようとする声をよく耳にする。
しかし「高校選びに失敗」とは果たして何をもって失敗なのだろうか?そもそも学生野球は理不尽な社会を生き抜く為の人間力を養うことも求められているのではないのか?例えば高校時代にレギュラーになれず陽の目を浴びなかった選手でも、大人になって大成功をし、「あの苦しかった高校時代が私を強くしてくれた」と言えたら成功ではないのか?あるいは「社会人になったら絶対にレギュラーの奴らに負けない」と、反骨心をエネルギーに変える人もいる。反対に甲子園優勝校のキャプテンが犯罪に手を染めてしまったケースもあり、輝かしい高校での実績がその後の人生を苦しめてしまうこともあるのだ。何をもって成功と言い、何をもって失敗と言うのか、それはその人それぞれの価値観によるもので一つの答えは無いと思っている。
そうであるならば、「この高校を選んで良かったと思えるように今を頑張る」というメンタリティーで過ごしていた方が良くないか?自分でコントロールできないことに対して不平不満や愚痴を言ってエネルギーを浪費しているより、自分がこの組織に貢献する為にはどうすれば良いのかを考えて時間を使った方が、幸福度や満足度が上がる可能性は高いと思う。「どこに行くか、行ったか?」ではなく、「そこで何をするか?」である。
高校野球は高校生の時にしか経験出来ない。私も戻れるものなら戻りたいと心から思うが、二度と叶わぬ願いなのだ。どんなに苦しくても高校野球をやれていること自体羨ましいと思う。純が野球部を辞めずにやり通してくれたことを、私は東京和泉シニアの監督として誇りに思う。スタンドにはベンチ入りできなかった選手を中心に、父兄やOBなどが大応援団となって席を埋めていた。声援を浴びながら打席に立つ純はとても格好良かった。きっと「二松学舎さんに勝って甲子園へ」と思っていただろうから、敗戦は悔しかったことと思うが、あの神宮球場の舞台は神様が頑張った純に与えたご褒美だったのだと思う。今度、純に会ったらぜひ聞いてみたい。神宮球場の打席で超名門校の投手と相対した時に見た景色はどんな景色だったかを。