2023年6月18日(日)

 

 練習 @坂東グラウンド

 

 私は読書が好きだ。とは言っても電車通勤の時にだけ本を開く暇潰し程度だし、ジャンルはやはり野球に関連するモノに偏っている。あとは指導論、育成論、組織論といったところで、それは他競技のモノもあるしたまにビジネス書を手にとったりもするが、基本的には私が監督として何かを学び、少しでもチームに役立てるヒントを得ることが出来ないかと思って読んでいる。恐らく今まで生きた42年の人生で200冊程度読んでいる(そのほとんどは30歳を過ぎてから)と思うが、そのうち120冊ほどをバスの後部トランクに保管し「プチ図書館」を開設したのは昨年3月のこと。何冊かは選手やご父兄も利用してくれている。

 

 本からは色々と学ぶことが出来る。素敵な言葉に出会うことが出来る。「とっても良い言葉だから週末に子供達に伝えよう」と想うこともあるし、中には「これは野球だけじゃなく仕事にも同じことが言えるな」「この言葉は今度のプレゼンの時に使おう」と思うこともある。だから仕事にもとても役立っている。私がこの日記の中で「想う」と「思う」を意識的に使い分けているのも本から学びを得たからだ。「想う」は「相手の心」と書く。だから選手達やチームスタッフ、そして親御さんといった「相手がいる思い」については「想う」と書いている。

 

 若い頃は活字を読むのには抵抗があった。マンガを読んでいた方がよっぽど面白かった。今でもマンガも嫌いじゃない。だけどやはり一番のキッカケは、東京和泉の監督になって自分が思い描いていたようには全然上手くいかなくて、行き詰まった時に「もっと勉強しなきゃ」って思ったことが始まりだった。読めば読むほどそこには自分の知らなかった世界が広がっていて、野球のことさえも「今まで俺は何も知らなかったんだ」と散々打ちのめされた。生意気な言い方だけど7歳から始めた野球はほぼ私の人生そのものとなっていて、「野球のことに関しての知識はそうそう人に負けない」って思っちゃっていたし、他人の言うことにちゃんと耳を傾けるっていう姿勢も持てていなかったと思う。でも本を読んだことで「どれだけ自分が自惚れていたか」を自覚出来た。それと同時に野球というスポーツの奥深さに益々魅了された。私が人生で初めて「勉強する」という真の意味を理解した瞬間だったと思う。やはり「謙虚に学ぼうとする姿勢」を持つことは、自分の人生を豊かに出来る要素の一つではないかと思う。

 

 この観点からいくと学校の勉強は少し本来の目的から逸脱しやすいと感じる。「勉強する」本来の目的は「人生を生き抜く力を養うため」と私は認識している。国語からは「言葉」を学び、コミュニケーション能力を高めることが出来る。社会では「歴史」を学び、過去の成功や失敗から未来を明るくする指針を示してもらえる。数学からは数字の持つ力を学び、方程式を用いて計算することや幾何学における証明などから、答えを探し導いていく能力が養われていくのだと思う。これらは全て社会で生きていくのに必要な能力で、それらを学ぶことが本来の勉強の目的だと今は思っている。

 

 だけどここ数年、中学生とその親御さん達と高校進学について面談をすると、「内申獲得合戦」をしているだけのように見えてならない。もちろん「内申点が高ければ高いほど進学出来る高校が増えて選択肢が広がる」という事実があることは百も承知だ。私自身が面談でそう話してもいる。そして私自身も、私の母親も、私が中学生の時はそうだったと思う。「内申点を上げて少しでも偏差値の高い高校に進学し、後々は少しでも名の知れた大学に」と考えていたような気がする。でもそれはやはりどこかで「他人の評価」が気になっていたからだと思う。「高い偏差値の学校=良い学校」、「低い偏差値の学校=悪い学校」という感覚がどうしても拭えていなかった。でも勉強する本来の目的が前述したように「人生を生き抜く力を養うため」だとしたなら、現在の内申点はその生徒を現わす一つの指標みたいなモノに過ぎず、その成績に合った学校に堂々と進学すれば良いと思う。周りと比べて偏差値が低い学校だったとしても何も恥ずべきことではない。「どこに行くか」ではなくて「そこで何をするか」である。早稲田実業野球部の和泉監督さんや、早稲田高等学院野球部の木田監督さんなどは、志望する生徒に必ず問う。「君は早稲田で何をやりたいのか?」と。つまりは「早稲田で何を学びたいのか?勉強したいのか?」を聞いてくる。「早稲田に入ることが目的」では困るということ。「早稲田じゃなきゃダメな理由」が明確な生徒に来て欲しいということである。

 

 勉強する意欲として目標を持つことは良いことだと思うけど、一流大学を出たからといって一流企業に勤められるわけではないし、もっと言うと一流企業に就職出来たからといって幸せになれるわけでもない。普段は建設業に勤しむごくごく一般的なサラリーマンである私は、日々仕事をする中でそのことを痛切に感じている。建設業は「関わる人の多さ」では他業種にまず負けない業界だ。本当に色々な人と出会う。建設現場で実際に作業する職人さん達はろくに学校を卒業していない人も多い。しかしそれでも大現場の中心的存在として活躍する人もいるし、中学時代にオール1の成績だった人が年商30億の会社の社長さんだったりもする。反対に一流大学を卒業して大手ゼネコンに勤めた人で、精神的に病んでしまってリタイアしてしまう人もいる。一般的には「勝ち組」と見られそうな人がそのような結果に陥ってしまう場合もあるのだ。ハッキリ言って何が正解かは分からない。

 

 でもだからいついかなる時も勉強しなくてはならないのだと思う。学ぼうとしなくてはならないのだと思う。自分の人生を豊かにするために、人生を生き抜く力を養うために勉強するのだ。あくまで私の考え方だけど、そこが本質なんじゃないかと思う今日この頃である。

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