2023年7月30日(日)

 

 オープン戦 対足利シニア @東京和泉グラウンド 8対3○

 

 お互いのスケジュールが合わずに見送りになってしまうこともあるが、秋の大会前とそして春の大会前に1度ずつ、年に2度ほど足利シニアさんにはオープン戦をお願いしている。オーシャン杯で交流を持った後にお付き合い頂いているのだが、大会前にお願いしているのには理由がある。「とっても元気があって、フィールド、ベンチ、指導者スタッフとの一体感があり中学野球のお手本のようなチーム」というのが私が足利シニアさんに抱いている印象で、そんなチームのエネルギーを頂いて、そして我がチームの選手達にも「試合とはこうやって戦うのだ」ということを学んで欲しいという私の願いだ。

 

 少年野球に携わる人は選手達の「元気」に期待することが多い。私も我がチームが元気のあるチームであって欲しいと願っている。しかし中学生ともなるとそれぞれに自我が芽生え始め、「声を出すことが恥ずかしい」とか、「一生懸命になることがダサい」とか、思春期特有の感情が邪魔して我々指導者の想いとは裏腹な行動をとってしまう選手が少なからずいる。それに私は「元気」とはイコール「勝ちたいと思う気持ちの温度」を現わしていると思っていて、野球を知らないと言葉を知らないから「声」にならないし、普段から指導者スタッフが選手達にその指導を行い、「勝ちたい」という感情を抱かせるような毎日を過ごさせていなければなかなか実現出来ないのが「元気」だと思っている。

 

 この度も足利シニアさんのそういったベンチの熱に感心させられた。選手達は自らの意思で「声」を出している。選手同士の声の掛け合い、ベンチから絶え間なく出る応援の言葉、褒め言葉、注意・警戒の言葉、その温度から本気度が伝わってくる。決してやらされてやっているようには見えない。選手1人1人が勝ちたいからやっている。まさに「常熱」。1番格好いいのは「真剣に、本気で、夢中で戦っている姿」だ。ゲームは8対3で勝利はしたが、「チーム力」でまたも完敗だ。公式戦で対戦したらとても勝てるとは思えない。いつもそう思わされる。それと同時に試合中は「このチームに勝ちたい」と強く思わされる。こちらの気持ちまで熱くさせられる。だから私は足利シニアさんと試合をするのが大好きだ。我がチームの選手達にも何かを吸収してもらいたい。それがオープン戦をする意味なのだから。

 

 マヒちゃんが好調をキープしてくれているな。1試合半の出場で6の5か…。さすがに大したモノだけど、マヒちゃんの場合はそれくらい普通に出来ると思っている。1球で合わせられるのが彼の才能だ。是非、東東京を代表するようなバッターになって現在都立小山台高校で活躍する兄を超える選手になって欲しい。

 

 この試合1番の反省点は4回に2死2塁からレフト前ヒットで本塁に還って来れなかった場面。我がチームは「コーチャーに頼らない走塁」を目指している。フィールド全ての打球を走者自身が見て判断し走塁することを約束事として決めているが、それを未だ私が徹底出来ていないことに気付くことが出来た。2塁走者だったハルキがコーチャーの指示で止まってしまったからだ。

 

 日本の野球はどうも「3塁コーチャー」を神格化し過ぎる傾向があると思っている。その野球を否定する気は毛頭ない。あくまで3塁コーチャーの指示を優先し走塁するならそれも1つの野球だ。高校野球などでもメディアが「3塁コーチャー」をひとつのポジションのようにクローズアップして、控え選手の貴重な役割として特集したりするから、野球に携わる人の頭に「3塁コーチャー=重要なポジション」と刷り込まれている感がある。でもその場合は優秀な3塁コーチャーを育てなければならない。1点を争うゲームになった場合、その3塁コーチャーの指示1つで勝ち負けになるからだ。3塁コーチャーを育てるには練習が必要だ。1ヶ所バッティングなどのゲーム形式練習では信頼して任せられる適任者を人選して固定し、その練習を繰り返しやらなければならない。もちろんオープン戦でも毎試合同じ選手にそのポジションを任せ、成功と失敗を何度も経験してもらうしかない。私は中学生にそれを課すことは出来ない。コーチャーの練習に時間を割くくらいなら、バットでボールを打つ時間、ノックでボールを捕る時間、打球を自分で見て走塁する時間にしてあげたい。

 

 私がそういう考えになる理由の1つに、高校時代の恩師である岩渕監督さんから「コーチャーに頼らない走塁」を教えて頂いていることが大きい。ただ、岩渕監督さんも元々そういう考えだった訳ではなく、とある大学の監督をされていた方に指導を仰いでからその考えに至ったそうだ。

 

 「岩渕くん。野球で1番難しいのは何だと思う?(某大学監督)」

 「走塁だと思います。(岩渕監督)」

 「だよな。でも学生がその走塁をなかなか覚えないのは何故だと思う?(某大学監督)」

 「分かりません。(岩渕監督)」

 「コーチャーに頼ってばかりで自分で見ないからだよ。(某大学監督)」

 「大学ではどんな走塁を大学生に教えていらっしゃるんですか?(岩渕監督)」

「大学では全て走者に見させているよ。基本的に見えないところはない。(某大学監督)」

 

 岩渕監督さんはこの話を聞いてから、専大付属でもその走塁を取り入れることにしたそうだ。私が23歳の時、専大付属で助監督を1年間やっていた時に聞かせて頂いた話だ。岩渕監督さんは専大付属高校の監督をする傍ら、東都大学野球リーグで審判もされていたから、東都大学野球リーグに加盟する各大学の監督さん達と交流が深く、そんなお話しの機会を頂けることに感謝されていた。

 

 野球は奥が深く答えがない。でもだから面白い。固定観念に囚われてしまっていては見えるモノも見えなくなってしまう。前述したように日本では3塁コーチャーを神格化する傾向があるからなかなか賛同者を得られないが、私が東京和泉シニアの監督でいる間は「コーチャーに頼らない走塁」で貫き通そうと思っている。昨夏の甲子園で初優勝を飾った仙台育英高校野球部の須江監督は、「賛同者が多いという時点で既に時代遅れ」とご自身の著書で書かれているくらいだから、強い信念のもと子供達に指導していければと思う。コーチャーを重要視していないことによりとれない1点もあるだろうし、それにより負ける試合もあるのかも知れない。それでも「コーチャー」より「打球」や「野手が守備する時」を見ながら走塁する感覚を養う中学3年間にしてあげたい。そしてその走塁で勝つ野球を目指す。来週末は合宿に行くから、そのあたりもよく確認する時間をつくれたらと思う。

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