2023年11月12日(日)
練習 @坂東グラウンド
土曜日は私が仕事だったため活動を休みコーチ陣に任せた。第2土曜日は登校日の選手が多く、午前中は少ない人数での活動となる。また選手達にはこの度の週末から次週とその翌週を加えた3週のどこかで、「母校訪問」に行くように伝えている。後輩の勧誘をしてきたもらうこともあるが、一番の目的は世話になった指導者の方にご挨拶してきて欲しいという想いだ。やっぱり私自身も卒団したOBが活動に顔を出してくれると本当に嬉しい。それはもう理屈抜きで嬉しい。一回りも二回りも人間的に逞しくなった教え子の姿を見ると、どこか安心するし、例え活躍の場が野球と違っていても成長した姿に誇らしさを感じる。きっとどこの小学生チームの指導者も教え子の帰りを待っている。1年に1度行ってもらうのは、我がチームを卒団した後も出来れば継続して欲しい。
金曜日は従妹の結婚式に出席した。愛知県常滑市まで両親を車に乗せて往復9時間半の日帰り弾丸ツアー。花嫁が父の妹の娘で、幼い頃は夏休みなどで三重県伊勢市にある父の実家に帰ってはよく遊んでいた。それがもう私が42歳、従妹は35歳になった。花嫁姿はとっても綺麗だったな~。「結婚式とは花嫁のためにあるものだ」と改めて思った(笑)。その花嫁が披露宴の終わりに手紙を読んだ。これがまた泣ける…。でもその中で印象的だったのが、「戦争もなくならない、感染症もある、自然災害もある、明日何が起こるか分からない中で私たちは生きていかなきゃいけない」という言葉。コロナ渦で式を挙げるのを遅らせたこと、そしてその間に旦那さんのお父様が突然亡くなられてしまったことから、そんな言葉が綴られたのだと思う。
野球が出来るのも当たり前ではない。3・11の時も本当に活動して良いものなのかと思ったし、熊本地震の時は野球をやりたくても出来ない人たちの報道を目にして胸が痛くなった。私がいつもこういう時に思い浮かぶのは、リーマンショックが原因で我がチームを退部した選手のこと。とある松ノ木練習の時に、お母さんとその選手が私服でグラウンドを訪れた。金融危機の影響でお父さんが勤めていた会社が倒産し、引っ越さなければならないとのことで東京和泉を退部するというのだ。「やめたくない」と言ってずっと涙を流しているその子を見て本当に辛かった。同時に、「よくぞここまで私は野球をやってこれているな」と思った。そして「両親がどれだけ苦労をしてきたのだろう」と。シニアで監督をするのは大変なことや辛いことも多い。挫けそうになることもあるけれど、その時私は決まってこの時のことを思い出すようにしている。「野球が出来ていること自体幸せなことなのだ」と自分に言い聞かせて、そして奮い立たせる。
日曜日の坂東練習では主にバットを沢山振る一日にした。今年は昨年の秋冬に比べて練習試合を多く入れている。今のチームの課題を克服しチームとしての新たな武器を持つためにはそれが得策だと思ったからだ。そんな中でこの日曜日は1日「練習」という日にした。次週から練馬区長杯が始まるから、その前週ということもあってオープン戦を組まなかった。この1日何かしたからと言って何が変わるというわけでもないのだが、貴重な1日であることは間違いない。小さなことの積み重ねでしか大きなことを成し遂げることは出来ない。
午前中、小雨が降った。過去にもあったがヤフー天気やウェザーニュースの雨雲レーダーに雨雲が無いのに雨が降っている。あるはずのない雨雲が上空にある。せっかくレイキでかいて乾かそうとしてたのに…。午後も曇り空だったから結局乾くハズもなく思い通りにグラウンドが綺麗にならなかった。坂東のグラウンドも工藤さんが整備してくれて、ネット張ってくれて、都度都度工場の人と連絡を取り合いながら、中学生の野球環境を守ってくれている。そういう人のお陰で私たちの野球が成り立つのだから、グラウンドはいつも綺麗に整備して帰りたいと思っている。天気やその時の状況にもよるからこの度のようなこともあるが、気持ちはいつも同じだ。
来週から練馬区長杯だ。あくまで目標は来夏に定めているし、上部大会があるわけではないローカルな大会と言っても、一応公式戦のユニフォームを着て戦える機会だ。それに多分、私が監督になってからこの大会は一度も勝てたことがない(泣)。まず一回戦を突破出来るように、良い準備をして挑みたい。今日野球が出来ることが当たり前じゃないことを想いながら…。