2025年10月5日(日)

 

 オープン戦 対足立シニア 10対2 〇 @足立シニアG

 

 先週で秋季東東京支部大会を終え、結果はベスト8。関東大会への出場権を得られる7チームまでにはあと一歩届かなかった。来春・夏にリベンジする為、チームとしての課題とそして各個人の課題克服に向け、足立シニアさんとオープン戦を3試合行った。1年生は10月19日から始まる1年生大会へ向けての試合、そして2年生はより深く野球を理解する為にノーサインゲームを実施。それぞれの新たなスタートを切った。

 

 私は建設会社に勤めるサラリーマンだ。ゼネコンから仕事を頂く鳶・土工の会社に勤めている。CADやRevitといったソフトを使って、高層ビルや駅舎といった建物の骨組みとなる「鉄骨」の建方計画をするのが私の主な業務内容だ。その為ゼネコンの方と度々打合せを重ねるのももちろんだが、実際に作業する鳶さんや土工さんとも密な打合せを行う。自社の職人は少ないが、協力会社の職人さんは鳶土工あわせて400人を超える。そんな職人さんの間でも、私が週末に中学生硬式野球クラブチームの監督をしていることは知れ渡っていて、真っ黒に日焼けした顔で現場を訪れると「また野球やってきたのかい?」と冷やかされる(笑)。中には息子さんが少年野球や中学野球、高校野球といった各カテゴリーで活躍している方もいらっしゃって、その様子を嬉しそうに話してくれる職人さんもいる。

 

 そんな中、先日とある協力(鳶)会社の社長さん(=以降親方)に相談を受けた。現在息子さんが中学硬式野球クラブチームに所属しているとのことで、理不尽だと感じる指導者の発言や活動状況、親の関わり方などについての話しだった。私は29歳の時に転職をしてこの建設業界へ飛び込んでから15年、入社当初からずっとこの親方にはお世話になっている。現場の建方計画についてはもちろんのこと、会社の番頭という立場としての立ち居振る舞いや考え方まで、多くをご指導頂いてきた。しかしそんな仕事の同志でもあり師でもある親方からのこの度の話しは、聞いていて辛いところがあった。我が子を思うあまりに、所属するチームスタッフへの疑念や不満が「片方の言い分だけ」になってしまっているように感じてしまった。親御さんとしての親方の気持ちも分かるが、そのように思われてしまっているチームスタッフさんを思うと何だか切なくなる。どれだけの時間と労力と想いを費やしチーム運営されているかは想像に難くなく、それでも報われないこの活動の「割の合わなさ」を感じずにはいられなかったのだ。

 

 さらに先週、今度はとある小学生野球チームの監督さんにも相談を受けた。「ウチのチームに運動神経が良くて野球が上手な子がいるんですけど、練習をよく休むんです。上手だから試合で起用したいと思うんですけど、毎週休まず練習に来ている子のことを考えると試合に出しづらくて…。どうしたら良いですかね?」と。私は「チーム理念は掲げておられますか?」と答えた。「チーム理念に基づいて活動方針が決められるハズです。休まないことを正としているのか?あくまで実力至上主義なのか?私なら上手な子を使います。少しでも勝つ可能性の高い布陣で試合に挑むことが、誰も裏切らないということだと信じているからです。そして練習に来ている子にはいつか逆転してくれることを期待して徹底的に鍛えます。結局どちらの方針で活動しても監督は叩かれます。練習に来ない上手な選手を使えば当然『何で練習に来ない選手を使うんだ』と言われますし、使わなければ使わないで『あの選手を使えば勝てたのに』と言われます。誰に何を言われるかが判断基準ではなくて、監督が何を大事にしたいのかということだと思います。」とも話した。

 

 野球は何故か教育の面を多く背負わされる。学生野球であれば当然のことなのかも知れないが、「野球部は挨拶が出来て礼儀正しい」みたいなレッテルを世間から貼られてしまっている感がある。決して悪いことだとも思わないが、そうでなきゃいけない理由もどこにも無いハズだ。「皆勤賞こそが正義」ということだけでもない。色々なチーム方針があって良い。そもそも挨拶などといった基本的なところは、家庭教育であって学校教育であると私は思っている。私が預かっているのはあくまで中学硬式野球クラブチームであって、野球というスポーツを楽しむ活動であり、私に課せられているのは野球を教えること。それが基本だ。

 

 ただもちろん、野球は団体競技であるから試合に勝とうとしたら必然的にチーム内の規律は必要になるし、人間性、社会性といった面も当然のことながら求められる。選手達が目標を定め、その達成の為に勝利を目指した時、「これだけは絶対に守ろう」と暗黙の了解のように自然発生的に生まれてくる規律こそ本物。「野球を通じて学ぶ」とは、「野球が産める付加価値」とはそういうことだと思っている。指導者側が挨拶の出来ない選手に対して怒鳴り散らして正したり、ペナルティーを与えて躾たりすることは私はしたくない。あくまで選手達が野球というスポーツを楽しみ学べる環境を提供する。我がチームはそういったアプローチで今後も活動していく。

 

 「野球は別にどうでもいいから、挨拶が出来るとか、練習の準備や片付けをちゃんとやるとか、そういうことを子供に教えて欲しいんだよ」…。私はこの活動を通じてこんな言葉を何度も耳にしてきた。最近は「だったら野球じゃなくて出家すればいいじゃん」て思うようになった。人間修行が目的なら別に野球じゃなくていい。そんなことを野球チームに求められたらたまったものではない。そりゃあ練習する為には準備片付けは必要だ。でもそれは試合で勝つ為だ。試合で勝つ為に練習が必要であって、その為に準備片付けをしなくてはならないだけ。それが目的になるハズがない。野球は答えが無くて、奥深くて、本当に面白いスポーツだ。このスポーツの面白さに触れるだけで多くを学ぶことが出来る。それで十分だ。
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