2025年11月16日(日)
オープン戦(2年生) 対横須賀三浦シニア @令和佐原球場 9対3 〇
オープン戦(2年生) 対横浜南ボーイズ @令和佐原球場 6対2 〇
オープン戦(1年生) 対狭山西武ボーイズ @狭山西武ボーイズG 2対6 ●
この度の日曜日は、2年生と1年生、学年別に分かれての活動となった。2年生は横須賀三浦シニアさん及び、横浜南ボーイズさんと変則ダブルで2試合。1年生は狭山西武ボーイズさんと2試合オープン戦をさせて頂いた。どのチーム様ともオープン戦の機会を頂くのは初めてのこと。横須賀三浦シニアさんとはオーシャン杯で何度も対戦させて頂き、その度に「お互いのタイミングが合えばオープン戦やりましょう」という話しはしていたのだが、ようやく実現したカタチだ。横浜南ボーイズさんとも交流させて頂いて感謝感謝である。
1年生はボーイズリーグの名門チームである狭山西武ボーイズさんと対戦。シニア、ボーイズ、ヤング、ポニーといった中学生硬式野球クラブチームのチームスタッフが150人ほど登録しているグループラインを通じてこの度の機会を頂けた。強さには理由があるから、そういった名門チームとの対戦は、選手達のみならず我々指導者スタッフも含めて多くを学べる良い機会となる。私はこの度グラウンドまで足を運ぶことが出来なかったが、選手とコーチスタッフは何を感じてくれただろうか?結果は2対6で敗戦。先日の1年生大会で東練馬シニアさんにも3対5で敗れたが、勝ち切れない原因は何なのか?私も含めてよく考えなければならない。
私はこの度の週末は仕事のため土日ともに欠席となった。仕事の内容はお客さんとの旅行である。場所は石川県金沢市。金曜日夕方発の新幹線に乗って夜に金沢入りし、初日はビジネスホテルに宿泊。翌朝にレンタカーを借りて兼六園と金沢城公園を観光した後、岐阜県にある世界遺産、白川郷へ移動した。そしてその土曜日の晩は、石川県加賀市にある山代温泉の旅館に泊まった。日曜日は金沢に戻って石川県立図書館と近江町市場を観光した後、昼過ぎの新幹線で東京に戻った。
実は10年ほど前にも社員旅行で金沢の地を訪れている。その時も兼六園は見学しているのだが、その時と全く見え方が違った。兼六園とは、水戸偕楽園(かいらくえん)、岡山後楽園(こうらくえん)とならぶ日本三名園の一つ。江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により長い歳月をかけて形づくられ、四季折々の美しさを楽しめる庭園として多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。しかし10年前の私は「庭見たところで何も面白くないだろ」と心の中でブツブツ文句を言いながら歩いていた。
この度の旅行ではそのただの「庭」が何とも美しく映り、心が洗われるようだった。庭園を彩る大きな松の木は、池に覆い被さるように立っていて、その重さにより幹が折れてしまわぬよう池の中から方杖により支えられている。それも庭の景観を損ねないようやはり木材が用いられている。時折、結婚式の前撮りに来ている新婚夫婦を見かけることが出来て、素敵な着物に身を包んだ新婦さんが庭園の中でより映えて見え、風情を感じずにはいられなかった。
先日、カミさんの誕生日に東京ディズニーシーへ足を運んだ時にも感じたが、やはり年齢によって見え方が違うことに驚かされた。この度の旅行を計画する際も、「定番だが兼六園は入れるか」とは思ったが、「また退屈だろうな~」と勘ぐっていた私は意表を突かれた格好だ。こんなにも感情を揺れ動かされるとは思わなかった。世界遺産白川郷は生まれて初めて訪れたが、時期的に紅葉(こうよう)が見事で、天気の良さと相俟ってこれ以上ない情景だった。合掌造りの佇まいにはやはり歴史を感じたし、建設業に関わる者としてはその造りの緻密さに学ばされることもあった。
あくまで仕事、そしてお客さんとのお付き合いとはいえ、つい5年ほど前までは「チームの活動を休んで旅行に行く」などということは考えられなかった。これまでもこの度のようなお誘いを受けたことは一度や二度じゃない。旅行もゴルフも全て断ってきた。「これで俺は出世を逃していくのだな。でも子供達と過ごす時間の方が私の中では大事だ」と決めつけ、「自分を犠牲にして子供達の為に尽くす」ということを美徳とさえしていた。
しかしその私の偏った考え方のせいで、「これまで沢山の機会を失ってきたのだな」と思い知らされた。改めて私は「野球の世界しか知らない、世間知らずなのだ」と感じた。7歳から野球を始めて、土日祝日は必ず野球をやっていた。高校に入学すると野球の無い日はなくなった。大学時代は寮生活をして365日、野球、野球、野球。社会人になってからもクラブチーム、そして東京和泉の活動で、赤い日に野球をやらない生活をしたことが無い。ゴールデンウィークは毎年ブラックウィーク。そうやってこれまで生きてきた。
東京和泉の活動を休んで来なかったからこそ見ることの出来た世界は確かにあったが、一方で私自身が人として成長する機会も失ってきたということだろう。「紅葉」を「綺麗だ」と思ったのは44歳にして初めて。そもそも本物の「紅葉」を見たこと自体初めて。「野球」という括りの外に出れば、世界は広く、そして私の知らない世界が沢山広がっている。多様性が重視される現代において、その未来を担う人材を預かっている私自身が、もっと色々なことを受け入れられる人間力を携えていなければならない。その為にも私はこれまで知らなかった、野球とは「違う世界」をもっと知る必要があると感じた。
中学生を指導する立場上、「勉強を欠かしてはいけない、私自身がアップデートしていかなければ、超速で変化する時代の変遷についていけず、あっという間に老害になる」という危機感は持っていたが、勉強していたのはあくまで「野球だけ」だった。これでは「将来社会に貢献できる人材の育成」という弊チームの活動目的は達成出来ない。私は母に「感性の豊かな人間になりなさい」とよく言われていたことを思い出した。もちろんこれからも私の人生は野球中心となることは間違いない。まだまだ東京和泉を良いチームにすること、そして未来永劫このチームが存続していってくれるように努力していく所存だが、その中でもやはり「違う世界」をから学ぶ機会はつくっていくべきだと思った。