2026年6月7日(日)
オープン戦(1・2年生)対江東シニア @江東シニアG 7対1 〇
この度の週末も1・2年生と3年生に分かれて活動し、私は引き続き3年生に帯同した。土日2日続けてTKGにて練習となったが、期末試験が近づいているので2日間ともに早めに練習を切り上げた。私が出来る最低限の気遣いだ。とはいえそれが正しいのかどうかはちょっと分からない。日曜日には夏季関東大会のベスト8決め、つまりは全国大会代表決定戦が行われていて、我々が目標としていた舞台が繰り広げられている。もしその戦いの真っ最中ということであれば、早めに練習を切り上げるなどする筈がない。3年生が高校進学するに向けて大事な試験であることは分かっている。だけど全国大会に出場するチームは今も尚その戦いを続けているのだ。もしその状況下なら、選手達は「土日に勉強する時間を確保することは難しい」と判断し、平日にもっと勉強する時間を増やすのだろうか?平日も代表決定戦へ向けて野球の練習もより熱を帯びている気がする。「勝負の6月」と位置づけイメージしていた私としては、自分のやっていることとのギャップに苦しめられている。
活動は当たり前に8時~17時であるという状況にした方が、選手達はその中でどうするかを考えられるのではないか?私が守ってしまい、私が学ぶ機会を奪ってしまっているのかも知れない。本質的なところでは、選手達にとってマイナスを生んでしまったのかも知れない。本来なら、「監督、期末試験が近いので今日は少し早めに練習を終えてもらえませんか?そのかわり短い時間の中でも一生懸命やりますので」と、選手達から提案があるべきだ。それを受けずして私が救いの手を差し伸べてしまっては、選手達の成長に弊害をつくってしまっていることにならないか?現代の子供は守られ過ぎている。公園で誰か怪我をすれば全ての遊具が使用禁止になったり、学校で先生が手をあげようものなら、親は来るわ、マスコミにも叩かれるわで社会的制裁を受ける。それは私のような中学生硬式野球クラブチームの指導者も例外ではない。先日は巨人の阿部慎之助監督が親子喧嘩で警察沙汰になり監督を降ろされる事態に至った。暴力は決して良くないことだし、大人が子供を守るのは当然のことだけれど、「あまりにも整えられた環境の中で育つと、社会の荒波に立ち向かっていけない人間が育ってしまうのではないか」と時々不安になる。
この時期になると、改めてまた「勉強することの意味」、あるいは「教育の目的」を考えてしまう。私は「人生を生き抜くため、あるいは社会を生き抜くための力を養うこと」が、勉強することの意味であり教育の目的であると認識している。しかし学校の勉強はその本来の目的から逸脱しやすい。高校進学の為には内申点が必要で、その獲得の為の勉強になってしまっている感が否めない。親御さんと共に面談しても、「最低GMARCHの大学へ」と話される方がこれまで本当に多かった。息子さんの将来を想う気持ちは分からなくもないが、一流大学を卒業すれば何かステータスになると思われているとすれば大間違いである。現代社会は超速のスピードで変化し、それに伴って社会人に求められることもどんどん変わっていっているにも関わらず、未だに「偏差値の高い学校が良い学校で、偏差値の低い学校が悪い学校」というイメージを払拭できないでいる様子が伺える。
私はいつも話すのだが、一流大学を出て一流企業に就職できたからと言って幸せになれるとは限らない。私は建設業に勤しむサラリーマンで、大手ゼネコンの社員さんを相手に仕事をしている。一流企業はやはり一流企業なりの厳しさがあって、組織が大きいが故に多種多様な人種が行き交い、当然のことながら上下関係もあれば理不尽なこともある。出世競争を含めた人間関係に疲弊し、精神を病んで退職していった社員を何人も見てきた。一流大学を卒業して一流企業に就職し、若くして私よりも遥かに高い給料を稼ぎ、人から羨ましがられるような輝く前途だったハズ…、にも関わらずだ。
私は中小企業に勤めるごくごく一般的なサラリーマンだが、とてもとても裕福とは言えないまでも、生きていくのに困らないだけの給料は稼げて、余暇で中学生と共に夢を追える今、私はとても幸せだ。愛する妻と可愛い息子に恵まれ、「自分は運が良い」とまで思っているくらいだ。しかしこの生活に至るまで、専修大学商学部卒業の学士の称号が役に立ったことは一度も無い。私の人生を豊かにしてくれているのは、専修大学野球部在学時に培った、理不尽を生き抜く力、忍耐力、考える力、そして苦楽を共にした仲間である。私はつまり、高校野球と大学野球を通じて「野球学」を学んだのだ。それと同時にチームと言う組織の中で生きていく社会性、治外法権とも表現できる程の理不尽な寮生活の中で、忍耐力や家族への感謝を持つ心、工夫し考える力などが自然と養われた。
高校や大学は「どこに行くか」ではなく「そこで何を学ぶか」である。その学校にはどんな歴史があって、どんなカリキュラムで、何を学べる場所なのか?自分がその学校で学びたいことはあるのか?そして何を学びたいのか?が志望する理由であるべきだ。ただ単純に偏差値の高い学校に進学しそれをステータスだと考えるのは危険だ。それでは進学することがゴールになってしまう。受け入れる学校側も、「我が校で何を学びたいか」が明確になっている生徒に来て欲しいのは当然だろう。
「AIに支配される時代が来る」と盛んに言われている。地球異常気象を見ても、これまで例を見ない出来事が頻繁に起こっている。つまりこの先どう変化していくか誰も分からない、ロールモデルの無い世界を生き抜いていかなければならないのが子供達である。そこに必要なのは学歴ではない。人に言われて動くのではなく主体的に自分で考えて行動できる力、どんな困難にも立ち向かっていける精神的タフさ、組織の中で自分の役割を理解し仲間と共に目的へ向かって歩んでいける社会性、そういったことだと思う。願わくば我がチームの選手達にはそういったことを学ぶことを目的に進学して欲しい。その為に勉強して欲しい。そして私が考えるこの社会を生き抜く為に養うべき力は全部、ぜ~んぶ野球に必要な力である。東京和泉シニアでの活動が、少しでも選手達にこの力が養われる場を提供出来ていたすればこれ幸いだ。