2026年7月18日(土)
練習(3年生) @所沢おおぞら特別支援学校G
練習(1・2年生) @秋ヶ瀬G
2026年7月19日(日)
練習(3年生) @秋ヶ瀬G
オープン戦(1・2年生) 対千葉北シニア @千葉北シニアG 7対4 ○
2026年7月20日(月)
東西東京卒業生大会2回戦(3年生)対足立中央シニア @東練馬シニアG 0対7 ●
練習(2年生) @秋ヶ瀬G
オープン戦(1・2年生) 対大宮シニア @大宮シニアサブG 7対8 ●
2026年7月22日(水)
第17回林和男旗杯(3年生) 監督会議・開会式・パーティー
練習(1・2年生) @和田堀G
2026年7月23日(木)
第17回林和男旗杯1回戦(3年生)対鳥栖シニア @鳥栖市民球場 8対4 ○
2026年7月24日(金)
第17回林和男旗杯2回戦(3年生)対福山中央シニア @鳥栖市民球場 1対2 ●
2026年7月25日(土)
オープン戦(2年生) 対東京ヴェルディボーイズ @明治安田生命サブG 2対3 ●
練習(1年生) @秋ヶ瀬G
2026年7月26日(日)
練習(1・2年生) @JR東日本G
日記を一週飛ばしてしまった。理由は書いている時間が無かったから(笑)。それは言い訳になってしまうのかも知れないと思い、改めて先週末からの予定を箇条書きのようにして上に書いてみたが、やっぱり時間が無かった(笑)。7月20日(月)海の日に、東西東京卒業生大会2回戦を足立中央シニアさん相手に戦ったが敗戦に終わり、午後には1年生の大宮シニアさんとのオープン戦を見に行った。21日(火)を挟んで22日(水)から「第17回林和男旗杯野球大会兼九州連盟創立45周年記念国際野球大会」出場のため九州へ飛び立った。大会名ながっ!(笑)。21日(火)は普通に仕事して夜家に帰り、3泊4日分の身支度をするので精一杯。出発当日朝は4時50分に自宅を出て6時過ぎに羽田空港に到着して8時15分発の飛行機を待った。パソコンを持っていこうかとも考えたが、荷物は重くなるし時間もつくれないと思って日記を一週諦めることとした。
「林和男旗杯」は、全日本選手権に出場できなかったチームの中から、日本全国の各連盟各支部の推薦によりエントリーされたチームが集まって行われる大会で、シニアの大会では春の選抜、夏の全日本選手権に次ぐ3番目に大きな全国大会である。北は北海道、南は鹿児島まで全64チームが参加して行われるビックトーナメントで、我がチームは東東京支部代表チームとして5年ぶりの出場となった。大会本部は佐賀県の「ANAホリデイ・イン鳥栖(旧ホテルビアントス)」に置かれ、メイン球場は鳥栖市民球場となった。
福岡空港に到着して父兄が事前予約して下さっていたマイクロバス1台とハイエース2台をレンタカーして鳥栖市民球場へ。受付と監督会議を終えたのち開会式が行われた。大会参加64チーム+女子チーム9チーム、計73チームが並んだ様子は壮観だった。前回出場した時はコロナ渦だったため開会式が行われなかったから、球場を埋め尽くした野球少年達を見て改めて全国大会に来たのだと思わされた。開会式が終わった後は「ANAホリデイ・イン鳥栖(旧ホテルビアントス)」へ移動し、指導者達の懇親を深める場としてパーティーが開かれた。これも前回出場時には無かったことだ。会場では1回戦の対戦相手となった地元鳥栖シニアさんのスタッフと、2回戦で対戦することとなった広島の福山中央シニアさんのスタッフと同席になった。鳥栖シニアの監督さんには、佐賀の野球文化などについて沢山お話しをいただいた。また福山中央シニアさんの監督さんは、専修大学野球部の大先輩ということが判明し、このようなご縁を頂けて幸せだった。
2日目。林和男旗杯1回戦を鳥栖市民球場にて鳥栖シニアさんと戦った。結果は8対4で勝利。序盤から我がチームが先制して試合を優位に進めていたが、もう一押し出来ずに残塁が多くなり、中盤には逆転を許して試合としては負けゲームの流れになっていた。2対4で迎えた6回表。先頭のコントゥーベが四球で歩いてすかさず盗塁。続くマエディーがファーストへ進塁打を打って1死3塁。打順はトップに帰ってキッペイさん。しかしここはショートフライで2死。チャンスは潰えたかと思ったがここから粘りを見せた。フミヤが四球で歩いて初球に盗塁を仕掛けて2死2・3塁。打席にはムッタ。2球目をレフト前へ。2人が生還して同点。さらにパパとキンニクマンもヒットで続き、2死から3点を奪って逆転に成功した。仕上げは7回表。前の打席で1死満塁から併殺打を打ってしまうなど、ここまでまるで良いところが無かったカンタが、いきなり右中間へスリーベース。それまで全く雰囲気を感じなかったので、突然バットに当たった感じでベンチ全員が驚いた。相手捕手のパスボールで生還し1人で追加点を捥ぎ取ってきた。コントゥーベとマエディーが倒れ2死となって再びキッペイさん。今度はレフト前に運んで2死1塁。パスボールで進塁して2死2塁から、フミヤがレフトポール際へトドメの一発。ツーランホームランで8対4とした。最後はリュウが締めてゲームセット。終盤の逆転劇で林和男旗杯1回戦を突破した。
28期生が競ったゲームを逆転でモノにしたというのはこれが初めてではないか。夏季関東大会1回戦敗退から2ヶ月強。この間にも3年生達が成長していることを自分達で証明して見せてくれた。特に嬉しかったのはフミヤの活躍。トドメの一発のみならず、2打席目には左中間を深々と破る3塁打を放っており、5打席立って2安打2四球1犠打、打点2、得点3。守っても3つのショートゴロを難なく捌きノーエラー。獅子奮迅の活躍でチームを勝利に導いた。ダメ押しの一発は打った瞬間それと分かる美しいホームランだった。両翼92メートル、中堅120メートルのちゃんとしたスタジアムだから、文句なしのホームランである。あれを打てる中学生はそういない。でも私は彼にそれくらいのポテンシャルがあることは分かっている。これまで発揮出来てこなかったのが不思議なくらいだ。林和男旗杯に出場した64チームの中で最も身体の小さなキャプテンだが、そのフィジカル的なハンデを補って余りある運動能力を持っている。「打って、守って、走って、何でも出来る東東京ナンバーワンのショートになるのだ」と彼に言い続けてきた。
これは私個人の想いなのだが、実は2018年20期生のチームにひとつ後悔がある。その年のレギュラーショートとして守っていたヤマグチヒロトという選手が、東京和泉シニア29年のチームの歴史の中でナンバーワンの守備力を誇っていた。オープン戦でも公式戦でもまずエラーをしないし、時にはビックプレーでチームを救っていた。当時は私も監督2年目で、内野手を育てる為の練習法などまだまだ知識不足だったから、練習と言えばノックを打つくらい。つまりヤマグチはほぼ自分の持っている能力のみで守っていた。「ガイコツ」と時々呼ばれるくらいヒョロヒョロで、どう考えても非力だったからバッテイングなどはどうしても弱かったけれど、守備だけはピカイチだった。しかしそんな彼が高校で野球をやっていない。見る人が見れば彼の守備力は分かってもらえるハズだったが、私の売り込み不足、営業力不足ということもあったのか、彼が望むような進学をさせてあげることが出来なかった。一般受験でも志望校に不合格となってしまい、テンションが下がってしまったのか、高校で野球を続けるという選択をしなかった。
フミヤの我がチームへの入団が決まった時、私は「この子を東東京ナンバーワンのショートにする」と心に決めた。ヤマグチに対する罪滅ぼしという訳ではないけれど、あの子に近づくショートになれるとすればフミヤしかいないと思った。約8年待ってようやくそういう選手に巡り逢えたと思ったのだ。林和男旗杯1回戦対鳥栖シニア戦。ようやくフミヤが輝いた。3年生がメインとなる最後の大会でとうとう1つの答えを出してくれた。でもまだまだ彼はこれから。本物になる為にはこれからも努力を怠らないこと。小さなことを継続して積み重ねること。東京和泉シニアの卒団式は12月。それまであと約5ヶ月弱。この間も努力を惜しまず高校野球という次のステージへ向けて精進して欲しい。東京和泉シニアのチームの歴史を代表するショートストップとして、これからより輝いて欲しい。私の願いだ。
後編へ続く。