2026年9月2日(水)
練習 @哲学堂公園G
9月2日(水)。ヤクルトスワローズの石川雅規投手が現役引退を発表した。2001年に自由獲得枠で入団し、1年目から12勝をあげて新人王を獲得。それから24年連続勝利を重ね、NPB通算188勝。200勝まであと12勝と迫り46歳となった今年、25年目のシーズンを迎えていたが、8月27日の巨人戦に登板した際に左肩痛を発症して引退を決断をしたそうだ。身長167cmという小さな大投手がユニフォームを脱ぐ。
1999年、当時青山学院大学2年生だった石川投手は、東都大学野球一部春季リーグ戦で6勝をあげチームを優勝に導き、MVP、最優秀投手、ベストナインといった個人タイトルを総なめにし、全日本選手権でも決勝で早稲田大学を破り日本一に輝いた。同年秋のリーグ戦でも5勝0敗と圧倒的な安定感を誇り、2季連続で最優秀投手とベストナインを受賞。一気にアマチュア野球界の主役に躍り出た。私が同リーグに所属する専修大学へ入学した2000年には、日本代表選手としてシドニーオリンピックにも出場している。
東都大学野球リーグは1部から4部までの4部構成。1部~3部まで各6大学、4部のみ4大学、計22大学が加盟するリーグで、春・秋の毎シーズン各部の首位と最下位で入替戦が行われる。1部の優勝校は全日本選手権及び明治神宮大会に出場し大学日本一を争う。リーグ戦は、自チームを除いた5大学(4部のみ3大学となる)を相手にする総当り戦で、2勝した方に勝ち点1が与えられ、その勝ち点数によって順位が決まる。2戦戦って1勝1敗だった場合は3戦目にもつれ込み、つまり1シーズン最少で10試合、最多で15試合となる(※延長戦の末引き分け試合も重なるとさらに試合数は増える)。1戦目は基本的に各大学のエースが登板し、1勝1敗で迎えた3戦目も中1日でエースが登板するケースが多い。5大学を相手にするのだから、各大学に1勝ずつあげた計算で1シーズン5勝したとすると、もう大エースの働きと言える。そんな中で上記の成績である。「青山学院大学の石川とは一体どんなピッチャーなのだ?」と神宮球場へ観に行ったら、ちょうど次の試合を待っていたのかスタンドですれ違った。私とほぼ同じくらいの背丈で、そして失礼ながら何とも童顔で少年のような雰囲気のお人。「本当にこの人?」と思ったのが私の第一印象である。
しかし逆に一体何がそんな凄い成績を残せる要因なのか?それを知りたいと思ってバックネット裏に陣取りプレイボールを待った。まず当たり前だがコントロールが良い。そして伝家の宝刀スクリューボールがバッターにとってどれだけ邪魔なボールになっているのか?ということが良く分かった。ストレートも140km前後を計測する上に、ボールが先行しても変化球でカウントを稼げる制球力があるので、打者有利なカウントになっても巻き返せる。スリーボールというカウントから、スライダー、スライダー、スクリューで三振をとったシーンがあって、「学生のレベルを超えているな」と感じたことを今でも鮮明に覚えている。
また意識していたかどうかは分からないが、基本的に遅いボールで勝負していた印象。MLBの名投手として語り継がれるグレッグ・マダックスが、「私は自分のピッチングに何か問題が生じた時に、より速いボールを投げるのではなく、より遅いボールを投げることによってその問題を解決してきた」という言葉を残しているが、まさにそれを体現しているかのようだった。学生はやっぱり速球派に憧れを抱いているし、打者を力で圧倒したい欲を持っているので、打たれ出すと抑えようとしてより速い球、より強い球を投げようと力んでしまい、全てのバランスを崩してしまいがちだ。そんな他の学生をあざ笑うかのように、力みなく投げ続ける石川投手の投球に目を奪われた。
さらに肩関節・肩甲骨が柔らかいのか、踏み出し足を着地してからもうワンテンポ腕が遅れて出てくるような印象を受けた。私のような一般人からすると、テイクバックをしてさらにもう一回後ろに引いているような感じ。フォームだけでも打者がタイミングの取りづらい要素を持っている上に、力みなく同じ腕の振りで140km前後のストレートと、110km程度のスクリューボールが来る。常にストライク先行だし、全てのボールがカウント球にも勝負球にもなる。「こりゃ打たれないわ」と思った。
「同世代」などと言って勝手に同じ東都の仲間ヅラするのはおこがましいにも程があるが、それでも同じ時代を生きて、同リーグに所属していた時期があったというだけで、石川投手のプロ入り後も注目しないわけがなかった。あんなに小さな身体で日本のトッププロを相手に勝利していく姿が痛快で仕方がなかった。晩年となったここ3年は勝ち星が伸びなくなり、でも200勝まであと少しと迫っていたから、何とか頑張って欲しいと願っていた。私は長らく池袋にあるワールドウイングという初動負荷トレーニングジムに通っていたのだが、そこに石川投手が来ていてお見かけしたことも何度かあった。握手してもらおうかと考えたが、ビビッて話しかけられなかった(泣)。そんな憧れのような存在がとうとう現役を終える決断をした。どこまでを同世代と言って良いかその定義づけは難しいけれど、大学4年間を一括りと考え、上は3つ先輩まで、下は3つ後輩までとすれば、もうプロ野球選手で現役は石川投手を含めて5人しかいない。西武ライオンズの中村剛也選手、栗山巧選手、オリックスの平野佳寿選手、そして楽天の岸孝之選手である。栗山選手も既に今シーズン限りで引退を表明していて、先日引退セレモニーも行われたから、来季から3人になることは確定している。
やっぱりそれはちょっと寂しい(笑)。つい10年~15年くらい前までは同世代の選手がまだまだ沢山活躍していて、特に私の一つ上の世代は「松坂世代」と言われ、プロ野球界を席捲していた時期があった。学生の頃にこの選手と対戦したんだとか、この選手と一緒に野球やっていたんだとか、そういうことを言えるのが私の唯一の自慢だった(笑)。ようやく野球に興味を持ちだした息子とプロ野球中継を観ていても、そんな思い出話をする機会は殆ど無くなっている。むしろ監督やコーチになっている人にそういう人材がいたりするのだけれど、当然ながら息子はそちらに興味を持ってくれない(笑)。私がシニアの指導者という立場になり、対戦相手の中学生として見た選手が今、プロ野球の舞台で活躍しているほどだ。自分がいいオッサンになったということだよね(笑)。時代が移り変わっていることを実感する。
石川投手は、私のような身体の小さな野球人にとって憧れの存在だった。身体が小さい選手はどうしてもそれを言い訳にしてしまうけれど、誰にでも可能性があることを証明し続けていた。彼から夢と希望を与えてもらった野球人はきっと多いハズだ。
小さな大投手。同世代として生きる私は、こういう投手がいるのだということを、今後も中学生に伝えていきたい。