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東京和泉リトルシニア00000000
熊谷シニア12010015
熊谷シニアの皆様、ありがとうございました。また鍛え直しますので、オープン戦等も今後とも宜しくお願い致します。

 5月21日に「春の全国大会出場」という目標を掲げて新チームをスタートさせ、それに向けてこの約5ヶ月弱ものあいだ全力で取り組んできたがとうとうその目標を達成することは出来なかった。それは全て私の責任であるし、目標を達成させてあげられなかった選手達に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。6月18日に熊谷さんとオープン戦をさせて頂いたがその時には3対8で負けており、そしてこの関東大会1回戦という舞台では0対5。結局この5点差分をこの4ヶ月で追い付くことは出来なかった。私達と同じだけの練習とそして毎日を熊谷シニアさんの選手達も過ごしてきたということだろう。

 試合を振り返ると、やはり主力の怪我は大きく響いた。相手に力が無ければ何とか代わりの選手で戦うことが出来るが、関東大会に出場してくるようなチームを相手にしてはスキをつかれる。主将で4番をつとめ抑え投手も任せるハズだった選手の離脱、抜群の守備力と出塁率で新座市長杯準優勝に貢献してくれたショートの離脱、そして正捕手の肘の故障により急造捕手で臨み、またその肘に故障を抱えている本来正捕手の選手を一塁手として起用せざるを得なかったことなど、新チーム始動時に思い描いた理想の布陣とは程遠い状況であったことは間違いない。初回、三振のはずの先頭打者を振り逃げで出塁を許し、その後のバント処理時に一塁手の悪送球で先制点を献上することとなった。パスボールと送球ミス。試合の流れを決めるであろうと思った初回に、まさに故障による急造布陣の2人が絡んでの失点となってしまった。故障者を多く出してしまったのは間違いなく私の責任だ。試合終了後に泣き崩れた主将の姿を見た時、「故障で今大会に出場出来なかった選手達の怪我を何とか防ぐ方法は無かったのだろうか」という思いに駆られた。大会に入るまでのスケジュールや大会期間中の練習内容など、私自身もう1度見直さなければならないと痛切に感じた。

 東東京支部大会からのこの秋のシーズン全体を考えれば、その故障者が多いなか選手達はよくやってくれたと思うし、大会を通じて確かな成長を感じてもいる。この試合の前日練習のことだ。登校日であったはずの選手が早退をして練習に来た。我が東京和泉シニアは「学生の本分は勉強である」と考えているので、「学校優先」としている。だから私を含めた指導者が「学校を休んで練習に来い」とは誰1人言っていない。強制もしていなければ促してもいない。しかし大事な関東大会初戦を前に、きっと「良い準備をしたい」と思ったのだろう。何か良い方法はないかと自分で考えて行動したのである。これこそ私が目指している野球なのだ。人に指示されないと行動出来ない”指示待ち人間”では社会に出ても通用しない。だから「野球を通じて自分で考える能力を養ってほしい」ということを活動理念にしているからこそ、最低限のことだけは指示してあとはなるべく「言わない」ようにしてきた。指示指摘をしなければ動かないし、遊んでしまうし、怒鳴りつけたくなる時も何度もあった。でもきっといつか分かってくれると信じ、ずっと我慢してきた。そしてようやく秋の大会を戦う中で選手が成長し、そういった選手が出てきたのである。

 当たり前のことであるが、2年生に比べるとまだ1年生はそういった部分で幼い選手が多い。寝坊して遅刻する選手や大事な野球道具をなくしてしまう選手など、目標を明確にしてそれに向けた生活サイクルを自分自身でしっかりと過ごすということが出来ない。それはつまり選手自身の自覚の問題である。来週から1年生大会が始まる。その大会で自分達は一体どんな立ち位置にいるのか、大会を通じて感じ、大人の階段を登る1つのキッカケにして欲しいと思う。

 10月9日。選手達とミーティングをして来春夏に向けた新たな目標を設定した。「春、関東1勝。夏、4勝。」である。要するに春はこの秋のリベンジ。秋の自分達超えをするということ。夏は負けなしストレートで4連勝すれば全国大会出場が達成され、4回戦で負けたとすると敗者復活戦にまわり1つ勝って全国大会代表決定戦までコマをすすめるということになる。いずれも東京和泉シニアの歴史上達成されたことのない成績だ。これを成し遂げるとはつまり、東京和泉シニア史上最も強いチームになるということだ。それを達成する為には生半可な取り組む姿勢では到底辿り着かない。20年の歴史で300人以上のOBが挑戦してきて誰もやったことのないことをやろうとするのだから、それ相応の覚悟が必要だ。男が1度やると決めたらやるしかない。私も含めて東京和泉シニアの新たな壮大な挑戦が始まる。

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