1234567TOTAL
東京和泉リトルシニア00020002
東練馬シニア000501×6
東練馬シニアの皆様、ありがとうございました。

 関東大会が終わってからの練習に取り組む姿勢や生活態度がそのまま試合に出た。挨拶や返事、バスの中での過ごし方、練習と練習の合間の行動など、野球以前の基本的な部分を疎かにしてきたから、基本的なミスを連発して敗戦した。イージーなライトフライを2つも落球、無死1・2塁でバント処理で3塁へ悪送球して失点、無死1塁で牽制死など、とてもじゃないが「春関東1勝、夏4勝」を目標とし目指しているチームの姿ではなかった。

 10月。関東大会が終わった後、2週連続で週末に台風が来たことなどにより、雨で満足に練習出来ない日が続いた為、永福地域センターという施設を借りてミーティングを行うことにした。その冒頭で「挨拶」について話をした。「君達は監督やコーチには挨拶するけど、親御さんには挨拶をしないのはどうしてだ?」と問いかけた。3年生が答えた。「監督・コーチには挨拶しないと指摘されるからです」と。正直な答えだ。私は「ではそもそも何故挨拶をしなければならないのだろう?俺は挨拶とは人との最初の勝負だと思っている。しっかりとした挨拶をするかしないかで人に対する印象は全然違う。大きな声と明るい表情で挨拶をされて悪い気のする人はいない。逆にしなければ印象は悪くなる。しなければしないだけ損だ。しかし以外と勇気のいることでもある。あまり気心の知れていない人が相手となれば尚更だ。その人との最初の勝負から逃げているお前達は損し続けているし、その行動からは何も生まれない」と話した。しかし悲しかったのはそういったミーティングを行ったにも関わらず、その後何も変わっていなかったことである。ただ私はそれを見てもその場で厳しく指摘することはしてきていない。そういった外からの圧力によって築かれる規律が脆いことを知っているからである。チームで行動する以上、守るべきルールや秩序は絶対に必要である。しかし一方でルールや秩序で個人が縛られ過ぎてしまっては、自発的なモチベーションは芽生えにくく、ある程度自由が無ければ生まれ得ない。ただし自由を行使するということは同時に厳しい「自己節制」が要求される。それが無ければただの「好き勝手」となる。この「自己節制」がかけられない幼き心では、当然大会では結果など出せるハズもない。運良く関東大会に出場出来たくらいで胡坐をかき、「来春まで時間が無い」と話しているにも関わらず危機感の無い練習内容を展開し、「自由」にただ甘えているだけの1ヵ月半を過ごしてきた姿が、そのままこの試合にあらわれたようであった。野球の神様はまだこのチームに味方してくれているようだ。このチーム状態でもし勝ってしまっていたら、その自分達の未熟さに気付くチャンスを与えてもらえずにいた。そのまま来春夏を迎えてしまうようなことになったらと思うとその方がよっぽど怖い。

 私はいわゆる厳しい管理野球の中で選手時代を過ごした。怒鳴られ、叱られ、ペナルティを与えられて、それに耐えて乗り越えてきた。それはそれで私の人間力にもなっているのだろうし否定するわけではないのだが、そうやって大人になった時、指示がないと動けない「指示待ち人間」の社会人になっている自分に気付いたのだ。厳しく罰すればその瞬間は出来るようになるのかも知れない。しかしそれは子供が大人に出来るように見せているだけで、本当の意味で成長しているということではない。自分達で目標を設定しその目標を達成しようと足並みを揃えるといったような、自然発生的に生まれる規律こそ本物である。「これだけは守ろう」という暗黙の了解のようなものがチームの中に出来てこなければならない。そのような自制心が極当たり前に生まれるようになれば、チームや組織はより目標に近づけると思うのである。選手達にはどうかこの敗戦で気付いて欲しい。自分達がどれだけ甘いのか、そして私が求める野球と今の東京和泉シニアが目指す方向性に。

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