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長野南シニア02103006
東京和泉リトルシニア222400×10
長野南シニアの皆様、ありがとうございました。長野南シニアの選手のフルスイングは見ていて気持ち良かったです。

 「柱となるピッチャーがいない」というのが、今年のチームの1つの弱点である。秋の大会に背番号1をつけた2年生投手は、午前中の富士河口湖戦で好投したものの、好不調の波が激しく、今のところの「投げてみなければ分からない」という状態では夏の大会を任せるのは正直まだ怖い。誰か「俺がエースになる」という気概を持った男が出てきてくれないかという期待を込めて、公式戦であったものの「交流大会」という位置づけに甘えて、昨年まで主戦では投げていない投手を3人マウンドに上げた。3人とも決して内容は悪くはなかったが、ではチームの命運を背負わせ、最後の夏の大会を任せられるという期待を持てたかと言えば、残念ながらそこまでの内容ではなかった。と言うより「そういう気迫が感じられなかった」というのが近い表現だろうか。

 野球は投手力で勝敗の8~9割が決まってしまう。どんなに優れた野手陣が他の8つのポジションを埋めていたとしても、投手力が低ければトーナメントを勝ち抜くことは出来ない。野球において投手とはそれくらい重要なポジションであるし、だからこそチームの先頭に立って、チームの手本となって、誰よりも厳しい練習を率先してやっていかなければいけない。エースとはチームの鏡であるし、そういう存在になる為の毎日を過ごしていなければならない。大変な役割であるが、でもだからこそ格好いい。私は5歳の時、叔父に後楽園球場へ野球観戦に連れて行ってもらったことをキッカケに、プロ野球選手を夢見るようになったが、それからプレイヤーを諦めるまで「やるからにはピッチャーがやりたい」とずっと思い続けたものだった。「ピッチャーやりたかったら走れ」と言われ続けたので、走ることでは誰にも負けたくなかった。強打者との対戦はワクワクした。常に完全試合、ノーヒットノーランをやってやろうと思ってマウンドに上がった。球は遅かったし、コントロールもそれほど良くはなかったが、気持ちでは絶対に負けたくなかったし、そして誰にもマウンドを譲りたくなかった。交代を告げられることは屈辱だと思っていた。高校時代の恩師にこう言われた。「投手で一番大切なのは打者に対する気迫だ」と。高校3年の最後の夏の大会、私は帽子のツバの裏に「気迫」と書いてマウンドに上がった。私がそういうことを教えていないからなのか、今のチームにはそういう昭和じみたハートの持ち主がいない。これは私の理想論になってしまうのかも知れないし、固定観念なのかも知れないが、やはりそういう男がマウンドにいるチームは、チームがそういう色のチームになっている。「エースはチームの鏡」とはまさにそういうことなのだと思う。今年のチームの目標が「春関東1勝、夏4勝」と高いだけに、やはりスーパーエースの出現は必要不可欠な要素である。もちろん夏の大会までにそういう男が現れなければ、別の戦い方を考えなければならないのが私の仕事となるが、やはり私の理想はエースが夏の大会4完投で4勝することである。つまり、毎週日曜日完投し続けても壊れない身体と、最低28イニング投げ抜く体力と、どんなに厳しい場面でも折れない精神力を持った男の出現を待ち望んでいるということだ。その為に今何をしなければならないのか、この伊豆遠征でマウンドに上がった選手には是非考えて欲しい。それが「エースになりたい」と真剣に思うことだ。

 反対に野手陣については1年生の成長が感じられた。昨年まで「1つ上の学年の試合ではまだ起用出来ないかな」と思っていた選手でも、ヒットを打ったりそれなりの結果を出せるようになってきた。少しずつではあるが力が付いてきた証拠と言える。私の立場からすれば、99%は今年の夏の大会までのことを考えなければならないが、1%は今年の秋の大会のことも考えなければならない。そういった意味で、1年生が1つ上の学年のレベルで対等に試合が出来るようになるのは、来年に向けて大きな期待が持てるということである。1年生には是非これからも2年生からレギュラーの座を奪うつもりで練習にも試合にも取り組んで欲しい。1年生からの底上げは、必ず「春関東1勝、夏4勝」という目標にも近づける要素になるはずだ。

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